特集 2017年1月7日

神社にある錆びついた大きな球の正体はブイなのか

歴史のプロに聞いてみる

ここからは専門家に尋ねたり、図書館で資料を探す地道な調査。
まずは、神奈川県立歴史博物館に写真や宮司さんの話を伝え、知っていることがないか聞いてみた。
神奈川県立歴史博物館には電話とメールで取材対応をしてもらった
神奈川県立歴史博物館には電話とメールで取材対応をしてもらった
ところが、返ってきたのは「こちらでは分からない」という答え。
しかし、有吉忠一の名前が刻されていることから、「横浜市史資料室に有吉氏に詳しい方がいる」というヒントももらうことができた。

というわけで、今度は市史資料室へ。
対応してくれた研究員の松本洋幸さんは、有吉について調べた際に現地にも行ったことがあるそうだが、「あれがなにかは分からないです」。
“御大典記念”の文字の横に“正三位勲二等有吉忠一”とある
“御大典記念”の文字の横に“正三位勲二等有吉忠一”とある
有吉の名前が入ってはいるが、彼や市が直接関与したというよりも、一般の有志が造った記念碑に、依頼を受けて一筆入れただけではないかという見解を聞かせてくれた。

図書館で資料と格闘

残念ながら、神奈川県立歴史博物館でも市史資料室でもハッキリした答えを見つけることはできなかった。
完全にベールで覆われた存在、というよりは、あの記念碑を専門的に調べていない、というのことのようだ。

ということは、資料を探せば答えに近づける可能性は残っている。
図書館に向かい、磯子区の歴史を記した本を中心に調査を続行してみた。
中央図書館で資料を探す
中央図書館で資料を探す
区制50周年記念事業として作られた「磯子の史話」では、八幡橋の八幡神社を滝頭八幡神社として紹介している。
神社の縁起や歴史について書かれているのだが、その中であの記念碑に関する記述を見つけることができた。

それによると“昭和の代になり、五年六月には、御大典記念碑が建ちました”。
それ以上の情報はなかったが、具体的な建設時期が書かれていたのだ。
1930(昭和5)年に建てられたという記述が見つかった!
1930(昭和5)年に建てられたという記述が見つかった!
今度はこれを元に、当時の横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)を探ってみた。
しかし、残念ながら、見落としがない限りは、この記念碑に関する記事は発見できず。

続いて手に取ったのは、「磯子のれきし」(磯子小学校百年祭実行委員会)という本。
この本でも、八幡神社について2ページだけだが、紹介がある。

その項目の最後の最後に、“漁師の人たちが奉納した大きなブイ(浮標)が石塔の上にのせられています”という文を発見。
球体の正体はブイ!?
球体の正体はブイ!?
まさしくこれだ! というところではあるのだが、なぜ天皇陛下即位の記念という形でブイを奉納したのかには触れられていない。疑問は残ったままで、スッキリ解決というところまでは至ることができなかった。

取材を終えて

今回の調査では、残念ながらここまでしかたどり着くことができなかった。
唯一、資料として登場したのはブイ説で、水運が盛んだった掘割川のすぐそばということも合わせて考えると、これが一番有力な印象ではある。
でも、時代に多少の差はあれど、よく似た機雷が存在したのもキニナルところだ。
果たしてブイなのか。それとも・・・
果たしてブイなのか。それとも・・・
昭和初期という、歴史的に見ればそれほど古いものではないのに、なかなか正体のつかめない不思議な球体。その姿形と相まって、なんともミステリアスな存在であった。
その謎を解くべく、今後も引き続き調べていこうと思う。


―終わり―
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