ケース2:「私がスキなら、高価な壺を買ってよ」
続いてのミッションは、打って変わって騙されてる系。愛の魔法にかかった者は、欲しくもない高価な壺を買ってしまうこともあると聞く。
壺を買う。個人的には一生しないような行動だが、世の中には真っ当に壺が好きという方もいる。知人のご尊父が壺ファンだとうかがい、わかりづらい趣旨をよく説明した上で、もしかしたらゆずってもらうかもということをお伝えし、見せてもらいに行ってみた。
壺ですね、というくらいしか感想も言えないほどのシンプルな壺。壺に疎い私だが、「い、いい壺ですねえ」と言ってみる。あらかじめ高価だと聞いていたから、嘘を言ってることにはならないだろう。
「よかったら持ってご覧よ」との言葉に甘え、手にしてみる。
赤子を抱くように
両手で慎重に抱えるようにして持つ私。その様子を見て、「いや、持つっていうのは、そうじゃなくて…」と、知人のお父さんがおっしゃる。どうも壺を愛でるときに持つというのはこういう持ち方ではないようだ。
いやー、まあ…とごまかしつつ、いくらくらいするものなのかと聞いてみると、「うーん、4〜50万くらいかな?」とのこと。
思っていたより高い。「あー、そうですよね」と、わかったような曖昧な返事をしつつ、落としてはならないという気持ちでいっぱいになる。自分が思う、高価な壺の想定を超えていた。
これはさすがに愛のためとは言え買えない。「これもかなりのお品ですが、他にも見せてもらえますか?」と聞いてみる。
そういうわけで見せてくださったのがこちらの壺。「献上茶」と大きく書いてあるが、昔、これにお茶を入れて殿様に献上したといういわれがあるとのこと。出たー、殿様。
ただでさえ床の対しての設置面積が小さくて緊張感あふれる壺なのだが、物語を聞いてさらに不安がアップだ。ところでこの壺、
かなり大きい。壺というより甕かもしれない。またも「いやー、いい壺ですねえ」と適当なことを言ってみると、「よかったら持ってご覧よ」とのこと。こう言われると、持たないといけないような雰囲気になる。
「早く、早く写真撮って!」 撮影をお願いした知人に思わずそう叫ぶ。ああ、早く壺を置きたい。そしてある程度の距離を取れるところまで離れたい。
値段を聞いてみると、「うーん、よくわからないんだね」とのお返事。具体的な額を言われるのではなく、わからないと言われる方が不気味で、壺から後ずさる。
結論としては、愛のためにでも壺は無理としておきたい。たぶん、壺を買うことで実るような愛は、本当の愛ではないと思う。