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特集


ちしきの金曜日
 
どうかと思うバス停めぐり


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なんだかわからないかっこよさ
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次のバス停が放射八号というわけではない
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ここでそれるといろいろとまずいことになりそう
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知らず知らずに人生を投影

道であることについて語り始めるバス停

概念系のバス停は、バス停名のぜい肉を極限まで削ぎ取ったものだったと言える。それゆえどうしても言っていることが伝わりにくかった。

いや、彼らには言うべきことなどなかったのかもしれない。

そういう意味で見ると、西武バスの「放射七号」はネーミングのインパクトを大切にしつつ、おそらく道路の形状を言っているのだろうという点で、まだ意味とのつながりをぎりぎりで保っていると言える。

放射七号。ちなみに一号から六号のバス停はなく、八号以降もない。

あくまで孤高を保つ放射七号。実際に訪れてみたところ、別に道路が放射状になっているわけではなかった。余計に深まる謎。

 

こんなところにあった、ついそれがちな道

道かつ概念、というマルチなバス停もある。東武・国際興業バスの「横道」がそれだ。具体的な道の様相でありつつ、示唆的でもある。

ついついそれてたどり着いてしまったバス停・横道。なにが基準で横よばわりなのだろうか。

辞書で「横道」を引くと「正しい道からはずれること。正しくないこと。邪道」ともある。邪道とまで言われるとは思っていなかった。

平気で立っているように見えるバス停も、実のところは傷ついているのではないだろうか。

道かつ概念という点では、西部バスの「別れ道」も同様のことが言える。確かにそこかしかにある別れ道ではあるが、こうしてバス停として成り立っているのは新鮮に見える。

あのときこうしていれば。もしあちらの道を選んでいれば。今となってはむなしく浮かぶ思い。

バス停を前によみがえる人生の走馬灯。

用もないバス停にわざわざやってきて何をやっているんだろうか。はじめから不毛だとわかっていたこの旅も、ここで終えることとしよう。




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直立した人のようにも見えるバス停の影

新たな発見は特にないバス停めぐり

観光地化された土地をめぐる旅行にはない何かを求めて始めた、どうかと思うバス停めぐり。旅を終えた今言えるのは、特にこれと言って何があったというわけではないということだ。

言うまでもないが、観光地化された土地にあるようなものもまったくもってない。淡々とバス停がそこにあるだけだ。

しかし本当の旅情というものは、そうしたバス停の行間にこそあるはずだ。そこにあるたやすいポエムに安易に手を伸ばすより、自分の中に無理やり見い出してこそ価値があるものなのだろう。

ワンダーランド、西側、そして別れ道。そんなバス停たちと向き合って見えてきたのは、自分の中にある陰影とでも言うべきものだろうか。

人はバス停と対峙して本当の自分を見つける。同じことの繰り返しの日常に倦んだら、用もないバス停で降りてみるといい。たとえ発見がなくとも、その打ちひしがれた感じは、新たな自分を発見する自問自答になるかもしれないからだ。


 

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