道であることについて語り始めるバス停
概念系のバス停は、バス停名のぜい肉を極限まで削ぎ取ったものだったと言える。それゆえどうしても言っていることが伝わりにくかった。
いや、彼らには言うべきことなどなかったのかもしれない。
そういう意味で見ると、西武バスの「放射七号」はネーミングのインパクトを大切にしつつ、おそらく道路の形状を言っているのだろうという点で、まだ意味とのつながりをぎりぎりで保っていると言える。
放射七号。ちなみに一号から六号のバス停はなく、八号以降もない。
あくまで孤高を保つ放射七号。実際に訪れてみたところ、別に道路が放射状になっているわけではなかった。余計に深まる謎。
こんなところにあった、ついそれがちな道
道かつ概念、というマルチなバス停もある。東武・国際興業バスの「横道」がそれだ。具体的な道の様相でありつつ、示唆的でもある。
ついついそれてたどり着いてしまったバス停・横道。なにが基準で横よばわりなのだろうか。
辞書で「横道」を引くと「正しい道からはずれること。正しくないこと。邪道」ともある。邪道とまで言われるとは思っていなかった。
平気で立っているように見えるバス停も、実のところは傷ついているのではないだろうか。
道かつ概念という点では、西部バスの「別れ道」も同様のことが言える。確かにそこかしかにある別れ道ではあるが、こうしてバス停として成り立っているのは新鮮に見える。
あのときこうしていれば。もしあちらの道を選んでいれば。今となってはむなしく浮かぶ思い。
バス停を前によみがえる人生の走馬灯。
用もないバス停にわざわざやってきて何をやっているんだろうか。はじめから不毛だとわかっていたこの旅も、ここで終えることとしよう。
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