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ちしきの金曜日

髪染めきっかけクロニクル


1988年に染めた:やんちゃ+化学少年だったため、かなり明るくブリーチしたとき「自分で作ったシャンプーが失敗したらしい」と、変な噂が飛び交った。(29歳 男)
1988年に染めた:オキシドールを頭にかけ、ストーブで温めて髪を焼いた思い出があります。(32歳 男)
1989年に染めた:オキシドールで。小心なのでちょっとだけ脱脂綿につけて試してみた(今で言うメッシュ?)けど、全然わからなかった。当時かなり流行ってて、保護者なしで子供はオキシドールが買えなくなった。ちなみに、コーラで試した友達はべたべたになってました。(29歳 女)
1990年に染めた:今思えば茶髪でも無い栗色程度。母親に鼻血が出る程引っ叩かれた。理不尽だと思ったけど、今自分の娘が中2で髪染めたらそれ位やるかもしれない(26歳 女)


そういうモンですかねえ〜。


1990年に染めた:染めるというよりオキシドールで脱色。まだらな金髪になりました。ホットロードにあこがれてやったのですが、今思えばドリアン助川のよう。(28歳 女)
1990年に染めた:美容院のカタログ用に青か緑に染めました。(33歳 女)
1991年に染めた:小学生のときに、母がおもむろに私を茶髪に。以来中学に上がっても先生が地毛だと思い続けるほどでした。(21歳 女)
1991年に染めた:まだこの頃は染髪は一般的ではなかったと思う。今は黒すぎると逆に会社の面接なんかは印象がよくないらしい…。剛毛には酷な時代だ。(27歳 女)
1991年に染めた:だって就職したのが化粧品業界で染めなくちゃクビっていうんだもん(30歳 女)

1991年に染めた:「あたし、スレて見える?」とどきどきでした。緑の髪の時は、おばあちゃん達の視線が痛かった。今は真っ黒です。(31歳 女)
1991年に染めた:バンドブーム?(35歳 男)
1992年に染めた:ソ連解体記念に(18歳 女)
1992年に染めた:きっかけは小室哲哉さんでした(26歳 女)



オ、オーディション受けたんですか?


1992年に染めた:この頃OLIVE少女に憧れて何を血迷ったのかベリーショートに挑戦。結果はダイアナキングもしくは和田あっこでした。ああ、若いってバカです。(27歳 女)
1992年に染めた:「宝塚みたい…」と言われた。(28歳 女)
1992年に染めた:先生に髪が茶色いと指摘され、「毎週海に行っているので、潮焼けです。」といったら信じてくれた。先生ごめんなさい。肌の色も、海じゃなく、日焼けサロンでに焼いたものでした!(28歳 女)
1992年に染めた:当時は茶髪はサーファーかヤンキーが多かった(30歳 女)
1992年に染めた:今なら普通の茶髪。でも当時は「ボブ」のあだ名が付いた。女なのに。(33歳 女)
1992年に染めた:若白髪の家系のうえ、子ども二人抱えて離婚してから相当白髪が増えた。(34歳 女)
1992年に染めた:おやじに殴られました。(29歳 男)
1993年に染めた:自毛が相当茶色いので中学の頃は先輩に目をつけられていました。帰宅途中ハサミで切られそうになったことも。(21歳 女)

1993年に染めた:中学生の時で、一気に染めるのは目立つので、姉の酢みたいな匂いのスプレーをこっそり使ってじわじわと。今思えば中途半端。(22歳 女)



あ、ありますね、酢みたいな匂いの脱色スプレー。あれはあれで便利。



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