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コネタ


コネタ969
 
隠れキリシタン神社に初詣に行く
キリスト教弾圧を描いた遠藤周作の代表作
「沈黙」の舞台となった外海(そとめ)の海

あけましておめでとうございます。
みなさん、初詣ではどちらに行かれましたか?
明治神宮ですか?湯島天神ですか?

私は「サン・ジワン枯松神社」に行って来ました。

T・斎藤

一抹の不安を感じつつ、海を見る
細い山道をどんどん登る
道に迷ってないだろうか?

キリシタン神社

キリシタン神社とは、キリスト教が禁止されていた時代、隠れキリシタンたちが密かに集い祈りを捧げてきた神社である。隠れキリシタン達は二百数十年という長きに渡り、厳しい弾圧と迫害に耐えこうして信仰を守り続けた。

キリスト教が解禁された明治以降、もう隠れる必要はなくなった。が、にも関わらずあえて「隠れ」というスタンスを選ぶ人々がいた。

というわけで、今もなお現役でキリシタン神社が残っている。現在、日本に3箇所しかないそうだ。

今年はここに初詣に行ってみることにした。

見つからないような場所にある

そこは長崎市の中心部からだと車で1時間くらいの位置にある。その上、急な山道をどんどん入っていく。

弾圧の時代にキリスト教を守り続けることはまさに命懸けのことだった。神社という形態でカモフラージュしてるとは言え、もし見つかったら大変なことになる。なので、なるべく市内から遠くかつ山深いところにある。

車を運転していると、どんどん不安な気持ちになっていく。
「ほんとにこの道であってるだろうか?」
という自問自答を100回くらい繰り返しながら運転を続けたところ、ようやくそれらしき看板が現れた。


かくれキリシタンの聖地、サン・ジワン枯松神社

 

ザ・初詣

道は間違ってなかった。
しかしそれにしても人気がない。

初詣と言えば、ごった返す人・人・人、だ。
が、どうも隠れキリシタン神社では初詣はそうじゃないらしい。赤いのぼりが立ってたり、屋台が出てたりというのを期待していたら、全然違った。

近くに車を停め、そこからは徒歩で向った。
やがて歴史を感じさせる石段が現れた。


初詣と言うよりは遺跡に行く気分

木々の中にひっそりと佇むキリシタン神社

 

一見、普通の小さな神社
賽銭箱にマリア様の絵が

これがキリシタン神社だ

まず、いわゆる初詣の浮かれ気分はどこにもなかった。それは当時のままではないかと思わせるような、地味で目立たない様相。
パッと見、普通の小さな神社である。

が、近づいてみると賽銭箱の前に小さなマリア様の絵が。

これだけ。それ以外はまったく普通の神社の外観。なんたる慎ましさ。もう隠す必要など無いというのに。。

実に静かな初詣となった。
人ごみが苦手な私には気持ちを落ち着かせることができ、とても良かった。

もっとも、こういう哀しい時代を生き抜いた人々の様々な思いが込められた場所で、ジュージュー焼きそば焼いたりされるのもどうかと思う。
あ、それともここはクリスマスの日にフィーバーする神社なのだろうか?
まだまだ謎の多いキリシタン神社であった。


今年の初詣はこんな感じです

あくまでもカモフラージュ路線を崩さない
十字架が付いた墓石もあった

隠れキリシタンのかたか?
奥で一体何を…


参拝者、現る

しばらく写真を撮ったり、その辺をぶらぶらしていたら、やがて隠れキリシタン信者と思われる方が参拝に現れた。

遠くから様子を見ていると、その方は靴を脱いで中に入っていった。そして奥の方でなにやら箱のようなものを開け、拝んでいるように見えた。

帰り際、声をかけて話を聞いてみようかと思った。が、
「こんにちは。」
と挨拶を交わしただけに終わってしまった。
なんとなく
「隠れキリシタンの方ですか?」
とは、口に出して聞きづらかったからだ。

肝心なところで何も聞かない記者、読者の想像にお任せするライターとして確立する年にしていきたい、と思う。
(それはいいことなのか?と自問自答。)

サン・ジワン枯松神社 ⇒ 場所

近くにあった「祈りの岩」。すごく大きい。
 

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