「くすぐったい」という感覚がある。わき腹や首筋をコチョコチョされたときのあれだ。
痛みやかゆみと同様、必ずしも喜ばしいものではない感覚。なのになぜだか笑ってしまうという不思議な感覚だ。
さらに、やってみるとわかるが、自分で自分をくすぐってみてもちっともくすぐったくはない。それってどういうことなんだ。ますます深まる不思議感。
その謎に迫るためには身をもって試すしかない。様々な形でくすぐられてみました。
(text by 小野 法師丸)
●くすぐったいという不思議
いい気持ちというわけでもないのに笑っちゃうという不思議な感覚・くすぐったい。ただ、自分で自分をくすぐってもくすぐったくないのはなぜなんだろう。
人によって異なるくすぐったいゾーン。私の場合はわき腹なのだが、自分ではいくらやってもくすぐったくない。かなり激しく動かしてもなんとも感じないから不思議だ。
しかし、同じことを他人にされると全く様相が異なってくる。
激しくくすぐったい。なぜなんだ。
実際にやられてみるとやっぱりたまらなくくすぐったい。自分からくすぐってくれと頼んだのだが、すぐに「やめて、やめてよ!」と叫んでいる自分がいた。
それにしても私をくすぐる妻は楽しそう。やめてと言ってもやめてくれない。床に転げまわる私に対しても攻撃の手を緩めない。
後ろからのくすぐりはさらに実戦的。実際の場面で人をくすぐる時、正面切ってということはあまりないだろう。後ろからこっそり狙うことが多いくすぐり、その予告のなさがその威力をさらに増幅させる。
早くも息たえだえだが、様々な角度から「くすぐったい」という感覚を検証してみよう。
●くすぐり道具を投入
まずは自分の手と他人の手でくすぐってみたわけだが、続いては道具を用いてみたい。
まずは自分でくすぐり。手の場合と同様、全くくすぐったく感じない。先ほど人にくすぐられた時にはない余裕。なぜだか勝手に誇らしげな気持ちにすらなっている。
では、これを用いて他人にくすぐられた場合はどうだろうか。
おお、これは自分でやったとき同様、全くくすぐったくない。
なんだかうれしい。手でくすぐられていたときには屈辱的な気持ちにもなったのだが、今回は全然問題がない。くすぐっている妻もつまらなさそう。
やはり人の手のくすぐり性能はかなり高いようだ。微妙な力の入れ具合がポイントなのだろうか。
●自分の手を他人の手だと思い込んでみる
他人の手だとくすぐったいのに、自分の手ではくすぐったくない。ということならば、自分の手を他人の手だと思い込んでみればくすぐったく感じる可能性があるのではないか。
そう思い込む演出のために、自らの手にマニキュアを塗ってみた。女性用のブレスレットもしてみて他人っぽさを高める。確かにどこかがおかしな手が完成だ。
かなりの違和感。これで自分をくすぐってみる。
全然くすぐったくない。
化粧という形式だけでなく、じっと手を見つめて他人の手だぞと思い込んでみたのだが、ちっともくすぐったくなんかない。単なる自分くすぐりとは違う結果を期待していただけにとても残念だ。
くすぐったいと思う気持ちには、どういう要素が関わってくるのだろうか。
●他人の手を自分の手だと思い込んでみる
次の実験は逆。他人の手を自分の手だと思い込んでくすぐってもらうとどうなるだろうか。
実証方法は実に単純。妻の手を自分でつかんで、自分の手だと思い込んでみる。指先の動きは任せるしかないが、先ほど徹底的にくすぐられた時とは違った結果になるだろうか。
……ん? くすぐったくないぞ。
かすかにこそばゆい感じもすることはするのだが、笑ったり体をよじったりするほどではない。指先は手を抜くことなくしっかりくすぐっているような動きだが、ほとんどくすぐったくない。
おお、これはすごいかも。なんだか勝ったような気持ち。やはり他人の手とは言え、ある程度自分でコントロールできるという安心感がそうさせるのかもしれない。
●かすかに見えてきた謎
くすぐったさの謎を解くべく行った今回の試み。その全貌ははっきりとわからないままだが、なんとなくわかったような部分もある。
妻は最後の実験での私の反応が不満だったらしく、着替えた私に「もう一度くすぐらせて」と言ってきた。
正面から向き合い、わき腹をぐりぐりやってくる。あ…ああ…!やっぱりくすぐったいってば、ああ…あ!頼む、やめてくれ!
満足そうな様子を見せる妻。
もうそれがくすぐったいことはわかっていたが、協力者の心情が満たされることも大事なのだと思う。