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コネタ


コネタ504
 
大森貝塚は2つある


日本の歴史の教科書に必ずといっていいほど最初に出てくる「大森貝塚」。きっとみなさんの記憶にもあるはず。

東京でもあまり目立たない地域、大田区が唯一誇れるものだとずっと思っていました。
それだけに大田区在住の筆者としては地元が取り上げられるのがうれしくてたまらなかったのです。

ある日、京浜東北線に乗って、車窓を眺めていると不思議なことを発見。連続して、貝塚の記念碑が2つある。
こんなに近くになんで2つもあるの?というわけで、実際に行ってみました、貝塚に。
そうしたら、そこにはなんだか知らなくてもいい大人の事情が見え隠れ。行かなきゃよかったかも。

藤村 岳

大田区と品川区それぞれに似たような碑が2つ

縦に長い大田区側の「大森貝墟」。台座があり、堂々とした印象ですが、すごく狭い土地にポツンと建っています。正面で写真が撮影できないほどです。

そして横長のこちらは品川区側の「大森貝塚」。上に縄文式土器が乗っているのはとってつけたような印象が否めず。

どちらも電車からの見栄えを考えられています。とりあえず、ここまでは引き分けでしょうか。


大田区側の「大森貝墟」
品川区側の「大森貝塚」

 

まずは入り口対決!

大田区側はビルの間に普通のフェンス。看板がついていなければ、ここが入り口だとだれが思うでしょう?フェンスにかかっているビニール傘に哀愁を感じます。

一方の品川区。縄文土器のような素朴なオブジェ風門構えは迫力満点。否が応にも縄文気分は高まります。なんなのだろう、この差は。


ずいぶん狭い大田区側
品川区側には立派な庭園が!

 

次は看板対決!

さて、発掘から100年の記念に作られた大田区側の看板。発見者であるモース博士が浮かび上がるレリーフ。ちょっとはお金がかかっていそうですね。

しかし、品川区はモース博士の生誕地メイン州ポートランドと1985年に姉妹都市まで結んだそうです。
また、負けた……。


発掘100年記念だそうです
姉妹都市まで結んでいるそうです。

 

そして集客度(?)対決!

やはり記念のモニュメントなので、人をどれだけ集められるかもポイント。ちなみに取材した日はよく晴れた休日の午後。もう、すっかり春でした。大田区側は隅っこの階段にヘッドフォンで音楽を聴く10代前半の若者が一人。写真撮らせてくれる雰囲気ではありませんでした。

対する品川区側はお弁当を広げて楽しむ家族連れや散歩を楽しむお年寄りなど人がたくさんです。


通るのは電車のみ
家族連れでにぎわっていました

 

もう対決にもなりません

なによりも大事な貝塚跡。でも、いくら探しても大田区側には出土した場所が見当たりません。あの大森貝墟という碑だけです。

ということで、下の画像はすべて品川区側のもの。こちらはとても丁寧に縄文時代に採れたであろう魚介類の説明がありました。

完敗です、大田区は。


地層を守っている建物も貝っぽい
これが本物の貝塚のある地層
わかりやすい説明つきです

まとめ

明治10年に来日したモース博士。汽車で横浜から東京へ移動中に通りかかった大森のあたりで貝塚を発見。当時それは考古学上、画期的なものだったらしいのです。

ただ、モース博士は生物学者であって、考古学者じゃない。発掘時にきちんと場所を測量しなかったので、後にどこが本当の発掘場所かわからなくなってしまったとのこと。昭和4年に「大森貝塚」が、その翌年に「大森貝墟」が建立され、発掘に立ち会った人の間で50年に以上に及ぶ論争が勃発。それで記念碑が2つできちゃったのでした。現在は一応、どちらも国の史跡として認定されています。

しかも大田区民としては悲しいことに、当時の資料に記載された「大森村」というのはどうやら勘違いで、品川区にあるほうが本当の発掘場所なのでした、という悲しいオチつき。別にメジャーになってとは言わないけれど、ああ、またこうやって大森はマイナーとして埋もれていってしまう。ならばいっそ、「大井貝塚」に名称も変えて大森をそっとしておいて欲しい、などと卑屈に思うのでした。

こちらが発見者のモース博士。アナタがしっかり測量さえしておけばこんなことにならなかったのに。

 

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