入っているべきものが入っていないと、なんかさびしい。見てくれもあまりよいとはいえないし、あまりに空きスペースが目立ちすぎると、「広告媒体としての魅力に欠ける」ととらえられ、ますます広告が集まらなくなるという悪循環におちいりかねない。
という分析が正しいのかどうなのかは分からないが、とにかく看板提供側は広告が入っていないスペースをそのままにはしておかない。とりあえずなんか見せておく。
そしてそのとりあえずなんか見せておくものは、さびしくなっちゃいけないが、本来の広告より目立っちゃいけない。
そう、未広告看板(広告が入っていない看板のこと。ぼくがいま名づけた)には「無難」が求められるのだ。
未広告看板を通して見えてくる「無難」のイメージ。以下からはその「無難」を分類してみようと思う。 |