ある日のこと。大田区在住の私は、自転車で環状8号線を蒲田へと飛ばしていた。
急いでいたので、道路標示を確認しては「まだ久が原かー」などとぼやきつつかっ飛ばしていたが、やがて右の看板が目に入った。
「ん?・・・・・・・・(50mほど通り過ぎて)・・・・ガス橋?」 ガス橋って、何。 日を改め、見に行ってみることにした。
(乙幡 啓子)
その標示は、突然そこにだけ現れた。しかも同時に2箇所。ほれ、このように、ドン!ドン!
まあ、上空の標示だけなら見逃しもしたかもしれない。しかしなぜか、中央分離帯の植え込みの中にもダメ押しで立っている。
まあそれはいい。でもこのローマ字標示はいったいどうしたことだろう。
「ガス」って、「GAS」じゃないのか。 「燃料として使われる気体。都市ガス・プロパン-ガスなど。(三省堂提供「大辞林 第二版」より)」のことではないのか。それを、「GASU」て。
まあいい。それでは看板の矢印に従って、80m先を11号線なりに進んでみようではないか。
はやる心とうらはらに、なかなか「ガス橋」らしきものが現れない。道は下丸子あたりを越えた。不安な心持ちになってきた。その意味のごとく、気体となって消えたのか、ガス橋。
とか思う間に、目の前が広く開けてきた。
ゆるい坂は、土手の近いしるし。ヒイヒイこいでゆくと、あった。橋が。ガス橋が。ふつうの橋が。
これの、どこがガス橋ぃ〜? と、目印になるような建物などを探したが、周りはマンションやキャノンがあるばかり。しかし橋は橋だ。渡ってみましょう。
渡ろうと橋のたもとに行くと、ガス橋の名前を刻んだ銅板が、腐食してはがれそうになってかかっていた。そのさまが、「ガス」という語感とあいまって、曇り空の下、不気味な様相を呈している。
少なくとも「どっきり」では、なさそうだ。この橋は古くから「ガス橋」と呼ばれているということだ。 では渡ってみましょう。
ガス橋という、不気味で野放図な名前の橋ではあるが、河川敷では元気に皆スポーツをし、橋を行きかう人の顔色も良さそうだ。これのどこがガス橋なのか。
話はそれるが、銀座ガスホールという貸しホールがある。赤瀬川原平さんがこのホール名のことを、「いつも、席に座ると上からシューとガスが出てくるような気がする」というように書いていたのが、おかしかった。
この橋も、もしや。と、ふと思ったりしたが、無事渡りきることができた。
さて、困った。ネタになるかと来てみたが、なんの答えもなく「ガス橋を渡った!」みたいな記事にしてしまってはいかん。ここは周辺の人に聞き込みをしてみよう。そういえば東京側のたもとに、交番があったぞ。
でも留守だった。どうする。
あたりを見回し、この辺に住んでるか勤務してるらしい人を探してみたら、ちょうど土手を、キャノンの作業着を着たおじさんが歩いていた。
話しかける。「あの、ここガス橋ですよね?なんでそういう名前なんですか?」 「ああ、ここは昔、ガス専用の橋だったみたいよー」
いつも思うのだが、ふつう妙齢の女子がこんな質問を見も知らぬ他人に投げかけるということはしまい。質問されたほうは、私を何の関係の人だと思うのだろうか。学生がフィールドワークしてる、というふうに見てくれれば幸いだ。
さて、橋を降りて土手から見渡すと、確かに橋の下をガス管らしき太い管が走っている。それが、ガス橋のゆえんなのだった。
あとから国土交通省のサイトで確認したら、昭和35年の施工当時はやはり、東京ガスがガスを通す専用の橋として作られていたことがわかりました。おじさん正解。でもそのまま「ガス橋」という名前が残ってしまったのはすごいと思った。だって「がすばし」ですよ。しかも「GASU」ですよ。