日常会話で何気なく使っている英語。日本語にはない響きが心地よくもあるのか、普段の生活にすっかり浸透している。
しかし、逆に言うと言葉の意味をよく考えず、安易に使っているものある。例えば「スペシャル」はどうだろう。スペシャルメニュー、土曜スペシャル……もちろん語義はわかるのだが、乱発気味の感は否めない。
スペシャル。私たちはこの特別な語感を、むやみに使いすぎてはいないだろうか。
一度立ち止まって考えてみたい。スペシャルってなんだろう。巷で言ってるスペシャルの実態に迫ってみたい。
(text by 法師丸)
●カジュアル派のスペシャル
スペシャルと聞くとあたかも特別な雰囲気が漂うが、何気なくコンビニの菓子パンコーナーで出会うこともできる。「イチゴスペシャル」はかなりメジャーな菓子パンではないだろうか。
パッケージでは「イチゴクリームとミルククリームをダブルでサンドしました」とアピール。この辺がスペシャルなのだろうか。
確かにクリームは魅力的だ。それがダブル。言わんとするところはわからなくはないが、それをもってスペシャルとまで言ってしまっていいかどうかは微妙な感もある。
しかし、よく見るとこんなふれこみも書いてある。ただでさえおいしかったクリームが一層おいしく。うん、いいかもしれない。確かにそれならスペシャルかもしれない。
◎スペシャル1 「一層おいしくなったクリームがダブル」
改めて書いてみるとそうでもないか。自分の中で揺らぐスペシャルの価値。
●期間限定のスペシャル
続いてのスペシャルはグリコのお菓子・カプリコの期間限定版だ。「ジャイアントカプリコ つぶつぶ苺スペシャル」。声に出して読んでみるとわかるが、テレビの特番のような響きもあるお菓子だ。
文脈からすると、ここでのスペシャルはつぶつぶ苺だろうか。素直に受け取るとそうなるのだが、苺のつぶつぶは果たしてスペシャルに値するのだろうか。
開封してみた。ビジュアルとしてはつぶつぶ感は迫ってこない。内部に秘められているのかという期待とともに食べてみる。……うーん、まあつぶつぶしてるかも、といったところだろうか。
◎スペシャル2 「苺のつぶつぶ」
スペシャル=苺のつぶつぶ。スペシャルという言葉に個人的に感じていたイメージからは結構遠い気がする。
個人的には、これまでつぶつぶのことをスペシャルと思ったことはない。ずいぶんこじんまりとしてしまったスペシャル。しかし、中には「このつぶつぶがたまらない」という人もいるのだろう。もちろんそれでいいと思う。
人それぞれのスペシャル。そう考えると、スペシャルというのは網羅的な概念ではないのかもしれない。
●ケーキで加速するスペシャル
生クリームがたっぷりのケーキは、もうそれだけでスペシャルな存在だ。誕生日や結婚式といったイベントに登場することからも、そのスペシャル感はよくわかる。
わざわざスペシャルと名乗らなくてもよいケーキ。なのにこの「スペシャルショート」は輪をかけるようにスペシャルとついている。
この店ではノーマルなショートケーキも売られているので、スペシャルとはなんなのかが比較対照しやすい。ケーキの大きさや上にイチゴがひとつ乗っている点は同じだが、よく見ると生クリームの量やはさまっているフルーツといったディテールの違いがわかる。
◎スペシャル3 「フルーツが缶詰でない。あとクリーム多め」
そうだっただろうか。スペシャルというのは、はさまってるフルーツが缶詰じゃないとか、クリームが多いとか、そんな話だったろうか。
もちろん、それをしっかり踏まえてスペシャルショートを買うという選択もあるのだと思う。重要なのはどちらを選ぶにしても立ち止まって考えるということだろう。
振り返ってみてどうだろう。なんとなくスペシャルだからということで、安易にスペシャルショートの方を選んでしまってはいなかったか。私たちはこんなときでも試されているのだ。
●スペシャル観を逆手に取って
さまざまな商品があふれるスーパーの中でも、コーヒー売場はスペシャル乱立ゾーンだ。この商品以外にもスペシャルと名のつくものがたくさんあった。
中でもでかでかと書いてあるものをチョイス。さぞかしスペシャルなのだろうと、缶の裏側を見てみる。
味の特徴基準を見る限り、かなりふつう。口当りの項目こそかすかにシャープよりだが、あとは至ってふつう。
崩れていくスペシャル観。意表を突くスペシャル。
何かスペシャルの手がかりはないかと思ってよく見ても、煎り方をだって「普通煎り」。何度も読み返してわかったのだが、「酸味と苦味の見事な調和と深い味わい」というところがもしかするとスペシャルなのだろうか。
◎スペシャル4 「酸味と苦味の見事な調和と深い味わい」
さっきまで苺のつぶつぶやクリームの量だったスペシャルだが、ここに来て急に抽象的に。スペシャルな感じで見事に調和させたら、味の特徴としては普通になった。かなり末期のスペシャルだ。
●圧倒的な迫力でやってくるスペシャル
ここではまず現物からご覧いただこう。たまたま入ったレストランで注文したメニュー、「ナシゴレンスペシャル」である。
下に波線をつけて強調されるナシゴレンスペシャル。「スペシャルナシゴレン」という語順ではないあたり、倒置法によってスペシャルの持つ語感をさらに増幅させる狙いがあるのかもしれない。
ナシゴレンとはインドネシアのチャーハンだが、写真からもわかる通り、上に乗っているおかずでごはんの部分が見えない。
迫力あふれるスペシャル。これには納得。
◎スペシャル5 「目玉焼きとでかいカラアゲ」
「これには納得」と書いてしまったが、それでよかっただろうか。自分が思うスペシャルは、目玉焼きとカラアゲだっただろうか。スペシャルってなんだろう、いまだ自分の中で揺れ続ける。
●エスカレートするスペシャル
これまで主に商品名につけられてきたスペシャルを追ってきたが、スペシャルと冠されるのはそれだけではない。例えばプロレスの世界には「パロ・スペシャル」という技がある(参照)。
男性陣には「キン肉マン」のウォーズマンの必殺技としておなじみの方も多いと思う。
プロレス技なので、ひとりで再現することはできない。ちょうど帰省中ということもあって、父に頼んでみると「お前の言ってることはわけがわからん」と言いつつも、柔軟体操を始めた。
それなりに見えるやる気。いろいろ説明した結果、今回は技をかける側として協力してもらうこととなった。
まずは後ろに跳び乗って、しっかりと腕を固める。どうせやるなら脚もがっちり決めてほしい。「もっと腕を絞り上げて!」と、思わず語気も強くなる。
「はい、シャッター押して!」。カメラを持つ母に指示を出す。
おお、なかなかいい感じだ。思っていた以上にちゃんと決まってるじゃないか。
技を解いてもらい、かけてみた感じでのスペシャル感はどんなだったかを父に聞いてみると、「スペシャルじゃないのを知らないからスペシャルかどうかなんてわからん」との返答。
そうだ。スペシャルというのはあくまで相対的なものであるはずだ。ノーマルあってこそのスペシャル。いきなりスペシャルを問われても、そこに答えはない。
◎スペシャルの法則 「スペシャルって相対的」
くだらない質問にまともな答えが返ってきて驚いた。プロレスファンでない父にとっては、スペシャルもなにもない。スペシャルの旅の果て、原点に戻ったような気がする。
●答えは見えないスペシャルの旅
結局ふりだしに戻ったかのような今回の試み。調べてみた結果、スペシャルの実体はますます見えなくなってきた。
最後のプロレス技にしても、技そのものがスペシャルかどうかはわからない。ただ、この歳になって父(62歳)とこんなことをしているのはかなりスペシャルだと思う。
その様子を「なんなのよーこれー」と言いながら撮影している母の姿を含めてスペシャルだ。
ともすれば理屈だけに陥りかねなかった今回の試みだが、最後で実践できたのはよかったと思う。それを通して見えてきたことを大切にしたい。