調べてきました! (2010.9.13)
私は内灘の隣町で育ったんですが、遊園地があったなんて全然知りませんでした。ところが祖母に聞いたところ「あぁ〜あったあった。行った事あるわ〜演劇とか見たねぇ〜」とのこと。
ちょっと調べたところ、内灘町の「歴史民俗資料館 風と砂の館」という所に当時の資料があるらしいので社会勉強がてら行ってみました。
名前は「粟崎遊園(あわがさきゆうえん)」と言うもので、演劇場、洋食堂、宿泊施設、遊具、動物園やスキー場まであったようです。当時はかなり盛況だったようで「北陸の宝塚」とも言われていたそうです。大正14年に開業し、太平洋戦争が近づいた昭和16年に閉園となったとのことです。
資料を見ながら係の方にお話を聞いたところ、当時粟崎遊園があった場所は今は住宅地になっていて、創業者の記念碑だけが建っているだけとのことでした。
ただ、粟崎遊園の正門が資料館の敷地に移設されていました。70年経った今でも少し塗料の色が残っていて驚きました。
その後創業者である平澤嘉太郎の記念碑も見に行きました。本当に住宅地の中にひっそりと建っていて探すのに苦労しました。
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