浮かれたリッチュー虚飾を廃した佇まいを愛するリッチュー鑑賞家にとって、こういう広告を兼ねた物件は本来邪道とされるべきもの。しかし、これはなんだかちょっと良い感じ。窓ひとつないのっぽなリッチューのプロポーションは、文字や絵を描く段になるとややもてあまし気味になる。しかしこの作品はちがう。たぶんこの思い切りの良さが功を奏したのだろう。やるなら徹底的に。リッチューが我々に教えるのはそういうことだ。