なぜ定食は食べるとなくなってしまうのか…。諸行無常、色即是空。世界はあまりにも冷酷である。 そんな悲しい運命にあらがうべく、定食をおりがみで作ることにした。食べられなければなくならないからだ。
紙製の定食で勝ち取れぼくたちの未来
さっそく折り紙で食べられない定食を一通り作ってみたい。まずはメインの回鍋肉から。
黄緑と緑の紙はキャベツ、茶色い紙で肉を表現する。
あっという間にできた。最速の料理人でもここまではやく回鍋肉を作ることはできるまい。興奮のためか鳥肌が立っているようにも見える(毛羽立ちに注目)。
料理単体で見るとあまり大したことないのだが、僕がこう抱えて持つとなぜかすごく器用に完成させたように見えないだろうか?
これはイケる。そう確信した僕は次々と定食の皿を埋めていった。
うん、ごはんだ。
これが食べられない、故になくなることのない定食。無限の存在である。ああ、そんなものがあればと思っていた。今それが目の前にある。
どうみても日替わり定食のサンプルだ。毛糸で添えパスタをあしらっておけばよかった。
花見に行こう
当初の意図とは反して残念な定食のサンプルができてしまったが、せっかくなのでこれを持って花見でもしようと思う。
定食を持って花見、なんと優雅なことか。思えば料理を弁当箱に詰めるなんて無粋すぎなのである。
という感じで桜が満開の公園までやってきた。
折り紙でできた定食は長い時間放っておいても冷めて不味くなることがないのがよい。
春だな、と感じるのはやはり桜を眺めるときだ。華やかに咲く姿の中に散りゆく運命を秘めているところが切なく美しい。
ああ、ここでこの定食が食べられないのが残念である。いや、ちょっと我慢したら食べられるかもしれない。食べてみようかな。
やっぱり食べられなかった。
無事失敗
なぜ大切なものはいつか失われてしまうのか。抗おうとしても無理なことなのだろうか。
だがその悲しい運命の中に一瞬の輝きがあり、その光が自身を照らすのかもしれない。その意味で定食のおいしさも桜の美しさと同じである。そう感じる春の1日であった。