スバル・レガシィ。 言うまでもなく、富士重工業の誇る人気4WD車である。
…という書き出しで、2月と3月に1回ずつ、コラボ企画記事を掲載した。 現在もいろいろな媒体で「ついていくクルマ」等のキャッチコピーを見かけては、その活躍ぶりに「ああ、ダンボール車で記事書いたなあ」と懐かしい気分になっていた。
そんなある日、担当からメールが。「また“四人工藤”で記事書いていただけませんか?今度は太田行きましょう」
え!?続編!?太田!?
取材は北関東の猛暑日に
群馬県は太田市にやってきた。そう、「スバル」の故郷である。今回は、レガシィが自分を生んだ太田市に自力で里帰りしようという、心温まるお話である。
この日、四人工藤の面々は東武線太田駅に現地集合だ。スバルの本工場は駅北口にある。そこに今から向かうわけだが、それにしても駅前にいきなり現れるこの空き地はどうだ。富士重工業、そしてその前身の中島飛行機時代から企業城下町として栄えるここ太田市も、駅周辺より車で行ける郊外の道路沿いに人が集まる構図である。
商店街と思しき街並みもややくたびれて、だいいち街にあまり人が歩いていない。他人の視線が少ないということで「四人工藤」には好都合ではある。
さっそくレガシィを組み立て、本工場へ向かう。
語学でもスポーツでも、熱心にやったその時にはなかなか身に付かなかったものが、しばらく間をおくと理解が深まっていて、また一段上達することってないだろうか。このレガシィの組み立て手順も、たぶん皆の体に無駄に染み込んでいたのだろう。もうどこで営業があってもすぐ対応できる自信がある。
「敷居が高い」とはこのこと
実は、前回のメンバーのうち1人がどうしても今日は来れず、急遽わたくし乙幡が左前方の駆動部に入ることとなった。宜しくお願いします。一回やってみたかったのです。
なぜかといえば、街をゆく車の、異様にスバル率が高いのだ。
まあ、この四人工藤のまま工場にお邪魔してもアレだしね、しょうがない。
すると続けて、「あと、あまり工場には近づかないように。見つからないように、とのことです。」 ズコーッ。そのレベルで無許可だったのか。
よって、実は上記のドライブ、おそるおそる行っていたのだ。どんなコラボ企画だ。
でも、太田の各地にまだまだこのまま出没していきますよ。