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ひらめきの月曜日
 
ツツジが枯れてきました…
朽ちていくその姿にワビサビを感じてみないか


寒い季節が終わり、春がやってきて、街にも花が咲き乱れたのはもう数ヶ月も前の話。

そろそろ、枯れてきましたね…。

(text by 石川 大樹


 

終わりはいつかやってくる

生には死が、出会いには別れが必ずやってくる。花も同じだ。咲いたら枯れる日がいつかくる。

東京は梅雨に突入し、春に咲いた花たちはそろそろその時期を迎える。


春のツツジ。街のあちこちで鮮やかな花を咲かせたが


梅雨に至り、かつての栄華も見る影もない姿に


パッと咲いてパッと散り、跡を残さない桜。それとは違って、このツツジという植物は、最期をちょっと渋ってしまうのだ。結果、引き際を逃し、こうやってワビサビあふれる姿になってしまう。

 

 

枯れ落ちて

この時期のツツジの奥深さは本当に侮れない。遠目にはきれいに咲いているように見えても、近づくとそこにはドラマがある。それも月9みたいな派手なドラマではなく、老人が時速8kmのトラクターで延々ひとり旅する映画(があるんですよ)みたいな、とびきり渋いやつである。


遠目には満開に見える。しかし一歩近づいてみるとそこにドラマが


こうやって潰れてカピカピになっているのはわかりやすく悲しいが

半生で生き埋め状態になっているのもいい。「こころざし半ば」という感じがして、悲しいというより悔しいのだ


落ちた花も、こうやって安定着地できていると見ている方も安心する

一方で切ないのはこうやって枝に引っかかったりしているやつ。このまま地に足がつかないまま、干物になっていくのか


溝の隅に追いやられてしまう者も。これからはこの小さな隙間で、肩を寄せ合って暮らそう

なんとも胸の痛いありさま。ちりぢりになってしまった


もう違う生き物みたいになってしまっている例。ヒトデのようでもあり、キース・ヘリング風でもある


どれもひどい仕打ちである。一体彼らが何をしたというのか。

いや、別になにも悪いことはしていないのだ。しかし枯れることは運命であり、自然の摂理。

僕はまだ30歳だけど、それでもたまに老いを感じる時がある。先週も美容院で、やんわり「髪を染めてみては」と勧められた。おしゃれ的な視点からではない。白髪が増えてきたからだ。ショックなことだが、それも自然の摂理…。

花もきっと同じで、最初は、ああ花びらのふちがちょっとくすんできたな、みたいなところ始まるのだろう。そしていろいろあって最終的には落ちて枝に引っかかったり、コンクリートの上でカピカピになったりするのだ。

花たちの末路を見ていると、明日は我が身である。日本の年金制度について思いを馳せずにはいられなくなる。

 

 

図解・花の一生

樹をよく見るとまだ若いつぼみも残っており、少し探せば花のライフサイクルをすべてたどることができる。


あどけなかったあの頃


いつしか少年は大人になり、花びらを大きく広げて世界を知る


しかし日々の生活に追われるうちに心は少しづつすり減り、徐々に花びらから水分が失われていく


質感はどんどんフニャフニャになってくるが、まだまだ発色は良い。好きな言葉は「生涯現役」。まだ、がんばれる


しかし時の流れにはあらがえなかった。踏ん張りも空しく、いつしか色もあせてきてカピカピに


そして…


これが桜であれば、パッと咲いてパッと散る、信長のような太く短い人生に例えられただろう。あるいはユキノシタという花は、枯れ花も美しいそうだ。

しかしツツジは、枯れ始めてからが長く、傷みも激しい。それだけに、人生に例えるとこんなふうにどうしても報われない老後になってしまう。

そんな彼らを前にして、僕のできることといえば、「がんばれ…」と小さく拳を握りしめるのみだ。

 

 

ソンビ化する花たち

実はツツジは枯れ落ちていくばかりではない。落ちることなく水分だけが失われ、変わり果てた姿になってしまうことも多い。


ケアルやニフラムが効く系統のビジュアル


生身のパンジーに集団で襲いかかるゾンビの群れ

ゾンビ映画なら主人公の視点。刈り揃えられた枝の間に、無数のゾンビが隠れているのがわかるだろうか


上空から。この密度で囲まれたら絶対に逃げられない

いっぽう、花が落ちたら落ちたで、めしべだけが触手のように残り、これまた怪物っぽい


本当は恐ろしいツツジの植え込み。失ってしまった生への渇望、そして嫉妬はいかばかりか。捕まってしまったら決して生きては戻れまい。

 

 

おぞましいビジュアルが続いたので、フレッシュな花で一休みしてください


名所のツツジは枯れているか

街中でも多く見られるツツジだが、都内には何ヶ所か、ツツジの名所といわれる場所がある。そこへ行けばより濃厚な枯れツツジ体験ができるのではないか。


文京区の関口台公園というところにやってきた

文京区の花はツツジだそうだ


いい「枯れ」、出てる


一回りしても10分ほど、名所ときいて想像していたより控えめな大きさの公園ではあるが、一面にツツジの樹が植えられていた。そして皆いい塩梅に、枯れている。

ツツジの樹に挟まれたスペースで、サボり中と思われるサラリーマンが地べたに座って(!)週刊誌を読んでいた。快適そうだった。これが満開の桜だったらそうはいくまい。フレッシュな春の雰囲気に飲まれ、ベンチを探して座ったりしてしまうはずだ。でも枯れツツジなら、地べたもOK。

枯れツツジは、無気力な人もやさしく包んでくれる。

枯れツツジの前なら、人はありのままの自分をさらけ出せる。


いきなり絶妙な枯れっぷり。めしべの先の突起に引っかかり、紙一重のバランスで落ちそうで落ちない。中国の仙人のような、浮世離れした幽玄さを感じる

足跡といっしょに固まる枯れツツジ。このまま化石になってほしい


これもツツジの仲間だろうか?バラみたいなきれいな花

しかし時が経てば、鼻かんだティッシュみたいになってしまう


子供たちの努力の甲斐なく枯れてしまうツツジのやりきれなさよ


ちょっとダイナミックな枯れ方。火を吐く二頭の竜のようにも見える

枝の束縛から離れ、自由に一人旅をできるのも枯れツツジならではということか


枯れ花には、同じく枯れたものがよく似合う。そして地味なものもよく似合う。


枯れた川に散らばる枯れた花

枯れ枝と一緒に掃き集められていた。近い境遇の者同士、慰め合うのか


枯れツツジは寄ってくる虫も地味


展望ベンチから見える景色、墓。


 

来年も枯れます

枯れた花は切ない。どう見ても切ない。

しかしこれだけは忘れないでほしい。花は枯れるからこそ、来年また美しく咲けるのだ、ということを。(そしてまた枯れるのだ)

6月からは枯れアジサイが見どきです

 

 
 

 

 
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