オラの作った米を食べてけろ
震災によるスーパーでの品不足でしばしば言われるものの一つに、お米が挙げられる。日本人にとって基本的な食材。日持ちもするからか、買って家に置いておく人も多かったのかもしれない。
訪れた店の精米コーナーは、寂しくなってはいるものの、最下段には結構な在庫があった。選択肢はかなり狭まっているもものの、入手が困難というわけではなくなっているのなら少しほっとできる。
ただ、レトルトタイプのごはんは在庫がほぼゼロ。簡単に食べられるタイプゆえの人気だろうか。
しかし、お米系の商品で、在庫がしっかりあるものもあった。
上新粉だ。原材料欄に書いてあるのは「うるち米(普通のお米)」のみ。今では粉末になってはいるが、もともとこれはお米だったわけだ。
普通はお団子を作るのに使うこの上新粉。これをもう一度お米に戻せはしないだろうか。
子供の頃に母と一緒に作った覚えがあるお団子。粉にお湯を注ぎ、よく混ぜ合わせる。それを一旦蒸してから成型するという流れだ。
その成型、普通は適当な大きさの球体にしてお団子にするわけだが、今回は小さな米粒大にするというわけだ。
4〜5mmの細長い粒に形作る。見た目としてはかなりのお米だ。実際、成分としても100%お米である。これはお米と名乗っても嘘とは言い切れないものになっているのではないだろうか。
ただ問題は、かなりの手間がかかること。小学校の社会科の授業で「米作りはこんなに大変なんです」と習った覚えがあるが、それを間違った方向から体感している気分になった。
小一時間ほど作業しただろうか。やっと茶碗に軽く一杯分のごはんを作ることができた。
当初は普通のごはん茶碗一杯分作るつもりだったが、ちまちまと作業していく中で早々と断念。家にある食器の中で、一番小さくて茶碗っぽいものを見つける方向にシフトした。
別の意味での米作りの大変さ。でもドヤ顔するほどのことじゃないだろう。
箸でつかもうとすると、いっぺんに全部取れてしまう。あれだけ時間をかけたことからすると、これは本当に貴重な米だ。
ひとくち分しかない大事なお米。じっくり味わって食べてみることにしよう。
口の中に入れてみる。モチモチした食感は普通のお米よりずっと強い。その分だからか、一粒一粒が別々になっている感じがせず、噛むほどに全体がすぐ一体化していく。味わいも普通お米とは明らかに異なるものがある。
この感じと味わい。どこかで食べたこがある。そう、お団子だ。これは明らかにごはんじゃない。
上新粉はお米が原料だが、本来お団子を作るためのもの。米粒大に成型してみても、食べてみると結局はお団子だった。なんと虚しい発見だろうか。
自分の発見の虚無に打たれて、今度はでかい米粒を作ってみた。形こそ米粒風だが、スケールがおかしい。そして食べてみてもあくまでお団子。
いいじゃないか、おいしければ。雑な結論を自分に言い聞かせてモグモグと食べようではないか。
記事中では3月21日(祝月)に訪れたスーパーの様子を載せたが、再び26日(土)に行ってみた。菓子パンもお米も、かなり充実してきているではないか。
パン粉からパンを、上新粉からお米を作ろうとした今回の試み。在庫が戻ってきているなら、この試みに意味はない。
そう言えば子供の頃から、実を結ぶタイプの努力は苦手だが、無駄な努力は得意な方だった。この非常時に大切なことの一つは、自分の持ち場を守ることだ。そう自分に言い聞かせておしまいとしたい。