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ちしきの金曜日
 
審判台に座りたい


タイトルだけ見ると何かを懺悔したい人のようだがそうではない。「審判台」とはこれのことだ

僕の母親は昔テニスをやっていた。子どもの頃は母に連れられテニスコートに通ったものだ。

母がテニスをやっている間は、クラブハウスで待たされることが多かった。漫画を読みながらぼんやり過ごす時間は退屈だったが、ひとつだけ楽しみにしていることがあった。それはコート脇にある審判用の椅子に座ることである。母はプレイ後、僕をあの椅子に座らせてくれた。普段は味わえない目線の高さに、とても興奮したことを覚えている。

そういえば最近あの椅子に座っていない。

榎並 紀行



また、あの椅子に座りたい

高い位置からコート全土を見渡すことができるあの椅子を僕は「天守閣」と呼んでいた。またあれに座って下々を見下ろしたい 。

正式には「テニス審判台」というらしい。調べてみたら、通販で購入することができるようだ。ただ、安いものでも4万円からする。僕も今はそれなりに働いているので買えないこともないが、本物の王様になれるのならまだしも王様気分を味わうためだけに4万円の出費は痛い。


恰幅のよさは王様級ですが、金銭感覚は庶民

生活費を切り詰めて「テニス審判台」を購入することも考えたが、そもそも4万円を捻出するために生活費を切り詰めるという行動が王様っぽくない。…どうしよう。


いっそ脚立で手を打とうかとホームセンターを回ったりもした

悩んだ末の正攻法

悩んだ末、けっきょく「テニスコートを借りる」という正攻法に思い至った。いや、最初からそれが一番の近道だと分かっていたのだが、テニスコートはできれば避けたかった。だってテニスって成功者のスポーツだろう。

テニスをやるような人というのは、家柄良く、金持ち大学に通い、キャンパス内に男女問わず友達が大勢いて、一流商社に就職後もグループ交際を続け、たぶん月に一度はバーベキューにも行っているだろう。つまり、人生を楽しむスキルが高い人たちだ。

泥のような青春時代を過ごしてきた僕がそんな世界に馴染めるかどうかとても心配だ。でも、あの憧れの椅子はテニスコートにしかない。ならば行くしかあるまい。


ということでテニスコートを訪問

撮影係をお願いした編集部の安藤さんとともに訪れたのは江東区有明にある「有明テニスの森」。東京湾岸エリアに広がる広大な森の中に48面ものテニスコートが点在する本格的な施設だ。緑の木立に囲まれたコートではお洒落なシティボーイ、シティガールたちがテニスに興じている。一方、こちらはねずみ色のコートを着たおっさん2人。思ったとおり、いや、思った以上の場違い。


でも登録しちゃう

しかし、いくら場違いだろうが受付をして入場料を払ってしまえばこっちのもの。晴れて「A−1」コート1時間の使用権を得ることができた。これで誰にも邪魔されず、堂々と審判台に座ることができる。


せっかくなのでラケットやシューズも借りた
意気揚々とコートへ。だが、

そこ、僕のコートなんですケド…

ところが、僕らが借りた「A−1」コートは既に一組のカップルに乗っ取られていた。映画館で自分の席番号のところに誰かが座っていたときの状況と似ている。

映画館なら自分の席であることを主張し速やかに移動願うところだが、なんせ相手は成功者である。しかも場所はテニスコート。ねずみコートのおっさんには太刀打ちできないアウェー感がどうしても心を卑屈にさせる。仕方がないのでおめおめと引き下がり、隣のコートを使うことにした。


しかもこっちは日陰。悔しい…

「お前など日陰者」。そんな言葉が聞こえてきそうだ。驕れる成功者の仕打ちはいつだって非道である。悔しいが、日陰のほうがむしろ落ち着くという日陰者ならではの習性が自分の中に染み付いていることもまた事実である。


悔しいことに日陰が似合っちゃう

そんな思いまでして僕は何故テニスコートへやってきたんだっけ。そうだ、審判台に座るためだった。


王者の風格

思わず写真を撮りまくる
揺らしてみる。意外と安定感があります

子どもの頃に座った審判台は、もっとグラグラしていたような気がするが、これはどっしりと安定感がある。椅子もプラスチックではなく、座面と背もたれにウッディな材質を取り入れた、なかなかお洒落なタイプだ。

早速座ってみよう。


いきます
イイ!

王様を通り越して神様気分

審判台からの眺望は想像以上に良いものだった。高みから下界を見下ろす神様にでもなった気分である。心なしか空気もうまい。

すると不思議なことに先ほどまでの砂を噛むような敗北感もスーっと消え去っていく。なんであんなに卑屈になっていたのか、今にして思えばとても恥ずかしい。

目の前の成功者たちよりさらに(標高的に)高みに上ることで生まれる心のゆとり。これからの時代はこういう心持ちを大事にしたい。


眺望もグー
空が近いですね

まさに神の視点
とにかく気分がいい

この審判台は座面が広く、ゆったりと座れる。前方から右側にかけて新緑が芽生え、左側に有明のタワーマンションを望むロケーションもなかなかグッドだ。ちなみに評価するとこうなる。


【座り心地】 ★ ★ ★ ★ ☆
【眺望】 ★ ★ ★ ★ ☆
【見た目のかっこよさ】 ★ ★ ★ ★ ☆
※評価は5段階

いきなりの高評価だが、もっと眺望や座り心地のいい審判台があるかもしれない。他の場所も巡ってみよう。


いちおうテニスもやっておいた

 

日比谷の森の審判台

やってきたのは都心のオアシス日比谷公園。ここにも5面のテニスコートがあるのだ。


日比谷公園テニスコート
入場料を払う

事前に調べた情報だと1時間1300円ということだったが、利用は2時間からで17時以降は別途照明代も必要とのこと。都合3600円もかかってしまった。テニスは成功者のスポーツだからコストが嵩むのは知っていたが、僕は審判台に座りたいだけなのでなんとなく腑に落ちない。


予約した時間までじっと待つ

青春のまぶしさにたじろぐ

日比谷公園テニスコートの利用客は有明のそれより年齢層が若い。10代とおぼしき男女グループが汗をキラキラ光らせながらボールを追いかけている。大学のサークルだろうか。10代だった頃の自分には身に覚えのない「ザ・青春」な光景。いい年してみっともないとは思いつつ、卑屈な気持ちが再燃してくる。


フェンス越しに呪いを送る

所定時間を1分でもオーバーしたら、乗り込んで審判台の上から文句を言ってやろうと思っていた。見知らぬおっさんが突然上から目線で文句を言うのだ。10代の心に強烈なトラウマを残すことになるだろう。

だが、彼らはコート整備まできっちりやって時間通りに去っていった。グゥの音も出ないほどの紳士っぷりである。悪かったよ、おじさんの負けだ。


マナーを守るいい子たちでしたよ

またモヤモヤした気持ちになってしまった。審判台に座って気分を変えよう。

これは旧式か
錆びが目立つ

日比谷公園テニスコートの審判台は、かなり年季が入っている。支柱部分には錆びが浮き、椅子はプラスチック製だ。全体的にレトロな風合いが漂う。


じっさい、若干グラグラする

だが意外や腰掛けてみると、体がすっぽり収まるフィット感で座り心地がいい。5面のテニスコートの向こうにビル群が立ち並ぶ眺望もなかなかだ。さすが3600円の審判台だけのことある。

自然と笑顔に
こういうのを抜けのいい眺望というんだろうか

そして、やはり高い位置に鎮座することは気分がいい。王としての自信が再び沸き起こってくる。これからつらいことや悲しいことがあったら審判台に来よう。

【座り心地】 ★ ★ ★ ★ ★
【眺望】 ★ ★ ★ ☆ ☆
【見た目のかっこよさ】 ★ ☆ ☆ ☆ ☆
※評価は5段階

 

東京タワービューな審判台

最後に港区・芝公園のテニスコートにやってきた。芝公園といえば東京タワーのお膝元。審判台の上から東京タワーを望む最高のロケーションが期待できそうだ。


夕暮れの東京タワー

すでに陽が落ちていることもあり、コート上には一組のグループしかいなかった。年配の男性2人と若い男女2人の4人組である。会社の同僚だろうか。楽しそうだ。本当にテニスが好きなんだなあというのが伝わってくる微笑ましい光景である。

僕はテニスをちょっと誤解していたのかもしれない。成功者だけでなく、純粋にテニスが好きでプレイしている人もいるのだな。


おじゃましまーす
一礼してコートへ

テニスへの誤解が晴れたところで、さっそく最後の審判台を紹介したい。

「最後の審判台」ってミケランジェロの壁画みたいですね。


最後の審判台
かっこいい!

この都会的なデザインは何事だろう。青山あたりのカウンターバーにあってもおかしくないたたずまい。これは素敵だ。

しかもこのロケーション!

東京タワーがこんなに間近に見渡せるのだ。まさにアーバンライフである。

デザイン性を重視しすぎたためか座面の奥行きが若干浅く座り心地はいまいちなのだが、眺望と見た目のかっこよさは文句なく最高得点である。


【座り心地】 ★ ★ ☆ ☆ ☆
【眺望】 ★ ★ ★ ★ ★
【見た目のかっこよさ】 ★ ★ ★ ★ ★
※評価は5段階

審判台に上ればねたみそねみもどこへやら

審判台から眺める視界の良さにテニスに対するおそれは消え、僕はまたひとつたくましくなったといえるだろう。

しかし考えてみれば僕の母はごくごく一般的な家庭の主婦だったから、そもそもそんなおそれを抱く必要はなかったのかもしれない。


 
 

 

 
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