先日、運転を開始した東北新幹線の新しい列車、「はやぶさ」。
最高速とか長い鼻のデザインとかグランクラスとか話題も豊富で、僕も人並みに乗ってみたい。初日の出発式で県知事が「青森の時代が始まる」と言ってしまう気持ちも分かる気がする。
ところで、新しい新幹線が華やかに登場した影で、そこに至るまでにいくつもの試作車が造られて、技術の下地を養ってきたことはあまり知られていないと思う。
偶然、そんな「はやぶさ」の祖先にあたる新幹線に会った。
(萩原 雅紀)
新幹線の車両基地に行った
先日、仙台に行く用事があって、空いた時間に新幹線の車両基地に行ってみた。
仙台駅から普通電車で20分ほどの利府駅から歩くと、東北新幹線の車両基地である「新幹線総合車両センター」がある。
ここは東北新幹線の車両基地になっているだけでなく、東北・上越・山形・秋田・長野新幹線の車体を分解検査する工場もある。いわばJR東日本の新幹線の指定医である。
僕は車両基地のかっこいい写真が撮れないかな、と思って来てみたけど、周囲は高い塀で囲まれていて、残念ながら撮影ポイントはほとんどなかった。
しかし一部見学できる場所がある、という話を聞いていたので、受付で許可をもらって中に入った。
いきなり第一祖先を発見
敷地に入ってすぐ、新幹線の車両が停まっているのが目に入った。おおお、昔走ってた東北新幹線だ!
新幹線に触れるところまで近づけるだけでなく、中に乗り込めるように階段までついていた。しかし派手な新幹線もこういう階段がつくと、ひとけがないことも手伝って急に遊園地の隅っこのイメージになってしまう。
内部に潜入
内部は新幹線の座席ではなく、社員食堂のようなテーブルとイスが並べられていた。きっとこの車両基地に見学に来た人の休憩スペースになっているのだろう。
隣の車両は普通の座席がついていたけど、リニューアル工事中とかで立入禁止だった。
食堂を抜けて先頭の方に歩いて行くと、運転席に続くドアが開いていた。ということはこの先は、まさか!
引退して展示されているとはいえ、本物の新幹線の運転席に座れるのだ!
今まで、スーパーカーや巨大ダンプトラックの運転席にも座ってきたけど、憧れという点ではこれがいちばん強くて、そして遠かった。
それがこんなところでウエルカム状態で待っていたとは。
これ、実はお客さんを乗せていた車両ではなくて、将来、全国各地に新幹線網が発達したときの標準となる車両を造る、という目的で試作されたもの。
そのため、東海道・山陽新幹線と東北新幹線の両方でテストが行われ、南は博多から、北は仙台まで走ったことがあるという珍しい経歴を持っている。1979年には319km/hという当時の電車の世界記録も打ち出したそうだ。つまり1980年くらいに子供だった人たちが聞いた「世界一速い新幹線」の情報源だ。
この車両が直線区間で必死に出した最高速度で、「はやぶさ」はお客さんを乗せて毎日走る。時代の流れと言えばそれまでだけど、その時代を流す力を、この車両も担っていたと思う。そう思えば「はやぶさ」の祖先である。
ところで、さっきから隣に写る、見慣れない色の車両が気になっている人もいると思う。
400km/hを超えた祖先
すぐ隣にもたぶん新幹線が展示されていた。なぜたぶんかと言うと今まで見たことない形だからだ。角が丸められたシンプルな直線のシルエットで、いかにも速そう。かっこいい!でもどことなくブルドッグっぽい!
かっこいいけど、直線と曲線が織り交ぜられていかにも空気の流れを繊細に解析しました的な雰囲気が感じられる「はやぶさ」と比べると、30年くらい前の図鑑に載っていた未来の超特急という感じ。
「はやぶさ」が3DCGを駆使したアバターなら、こちらは鉄拳2くらいの差だ。
それにしても「はやぶさ」のデザインが、いかに僕たちの予期しない進化だったかがよく分かる。
この新幹線は、高速走行をしたときの騒音や振動、トンネル微気圧波などを調べる目的で造られた試作車で、STAR21と呼ばれていた。
くさび形の先頭は見かけ倒しではなく、平成5年に当時としては世界最高の425km/hを記録している。今は風雨にさらされているけど、一度は世界の頂点に立った列車だった!
この車両は1992年から走行試験が行われて、1998年に役割を終えて廃車になっていた。走っていたのはたった6年間だけど、きっと、そのとき得られたデータの多くがこのあと登場するスピードアップした新幹線に生かされているのだろう。そしてその血脈は確実に「はやぶさ」へと受け継がれているはずだ。
ここは予約すれば新幹線を整備している工場の中も見学させてくれるのだけど、残念ながら内部は撮影禁止だった。
でもふだん見ている新幹線が吊り上げられて整備されている光景などが見られて、かなり興奮したので近くへ行った際には寄ってみるといいと思います。
展示している傷んだ新幹線もぜひリフレッシュしてあげてもらいたい。
そのはかなきもの
家に帰ってから調べたら、JR東日本がSTAR21を造った同時期に、東海や西日本でもそれぞれ独自に新幹線をスピードアップするための試作車を造って研究していた。
後の「のぞみ」や「はやて」の原型とも言えるそれらの車両は、だいたい4〜5年試験走行をしたあとすぐに廃車されていた。今回のように保存されているのは一部で、解体されてしまったものも多い。
スピードや安全性、快適性を追求するために生まれ、一定の成果を挙げたあと、人目につかないうちに姿を消す。「はやぶさ」が華やかに走り出した影には、そんなはかない存在がいたのだった。