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ちしきの金曜日
 
防御力の高い高校


 

少子化の昨今、もし少ない生徒数を巡って学校間戦争(スクール・ウォーズ)が勃発したら?

その居城とも言うべき校舎は勝敗を決する最重要項目とも言えよう。

今回は、その中でも特に防御力が高い長崎県は五島高校を見ていきたいと思う。

T・斎藤



五島高校の外堀および搦手門。校舎全体が堀で囲われている。
他校の水泳部員が堀を泳いで渡っても、狭間から弓道部および射撃部の部員が迎え撃つ。
搦手門を内側から見たところ。すばやく迎撃態勢に入れるよう石段がある。
門をくぐった後もさらに石垣が続く。通路は90度折れ曲がっており、他校のラグビー部員などの直進力を弱める。
長く続く石垣の先に正門がある。
五島高校正門。
正門をくぐったところには、全校生徒が集結できる広めの空間がある。
そして本丸(校舎)の前にはさらに内堀が。

福江城(石田城)

そろそろまじめに書くと、五島高校はかつての福江城(石田城)の本丸跡地にある。

福江城は、本物の軍事目的で作られた城(観光用とかではなく)としては最後に建てられた城で、完成したのが1863年。思いっきり幕末だ。ちなみに大政奉還が1867年。

迫り来る外国船から海岸を防衛するために作られたという。


内堀にかかる橋は、迎撃側に有利なよう幅が狭い。

城というと天守閣をイメージする人が多いかもしれないが、天守閣は城を象徴する建物のひとつで、それらを囲う城壁、堀など全部ひっくるめて「城」という。



城跡を利用した学校は各地にいくつもある。それだけ日本中あちこちに城があり、またその面積が大きかったということでもある。たとえば東京の中央線沿いの川は江戸城の外堀だから、その内側にある学校はすべて城跡に建てられているとも言える。

また、いわゆる「城」、石垣があって掘があって…というのは戦国時代末期〜江戸時代にできたもので、それ以前の城は石垣ではなく土塁などでできていて、「いわゆる城」のイメージとはちょっと異なる。そういうのも含めると、城跡を利用した学校の数はもっと多くなる。


「城跡」と書いて「まなびや」。

そういう曖昧な城跡も多い中、福江城は最後に建てられた近代城郭だけあって、その全容はまさに「城」の様相を呈している。

その本丸部分に校舎があるのだから、防御力も高いというわけだ。


校舎側(内側)から見たところ。

福江城本丸跡の石碑。

第三十三代・五島盛光。福江城の敷地を県に寄付し、五島中学(五島高校の前身)を作った人。


右側の建物は体育館。石垣に合わせた渡り廊下の作りが興味深い。
車を乗り入れできる道が無く不便だったのだろう、背面にはスロープが作られていた。
そのスロープの側面が、石垣を模したデザイン。
井戸ポンプ。

東側は大きな外堀となっている。昔はこの先は海だったそうだ。(現在は埋め立てられて港などがある)

隣接する図書館と資料館も城っぽいデザインで攻撃力高そうだ。(これは城風に新しく作ったもの)


五島氏庭園

高校のすぐ横には、城の城主であった五島氏の庭園があり、中を公開していた。(500円)


五島氏庭園
非常時に城外へと抜ける通路などもあった。
連絡先は五島さん。(ひょっとして城主の?)

城が好き

ちなみに城に作られた学校としては他に金沢大学が有名だが、こちらは1995年に移転している。

他にも幾つか調べてみたが、五島高校ほど「ザ・城」って感じのところは見当たらなかった。


 
 

 

 
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