まぁやっぱり名字のせいで無かったのは明らかで、何がきっかけかは覚えていないが、しばらくしたら僕は尾張のまま、終わりのまま、周りに受け入れられた。
となると変わるのはそのものではなく世界で、変な苗字は面白苗字となり、目立っていい。みたいな扱いになっていたりするんだけど、自身はその距離を計りかねていた。
尾張どうでもいいやでもあった
その後、苗字は変わることなく成長し、苗字を面白がる人は減っていった。それでも全くゼロにはならないのがこの人生で、たまには「人生終わり」と聞かされる。
意外、妥当、どちらに感じるかは僕には分からないのだけれど、僕の苗字をバカにしようとする人は「人生終わり」と、言う。尾張は終わり。ならば人生終わるのが一番嫌だろう。という発想か。 |