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ちしきの金曜日
 
川の両岸でにらめっこする


もどかしい!

にらめっこするのに限界の距離というのはあるのだろうか。例えばものすごく視力がいい人同士だったら、川の対岸からでもにらめっこできるんじゃないか。

もちろん僕はそんな視力を持ち合わせていないため、双眼鏡を使ってにらめっこの限界に挑戦してみた。二階から目薬、遠火で手を焙ぶる、対岸からにらめっこ、である。

安藤 昌教



企画概要

最初に一つだけ言い訳させてほしい。本来ならば今日のこの時間の記事はライター榎並さんの担当なのだ。

その榎並さんから週末に電話が入った。本職である雑誌の仕事がどうしても忙しくて、今日のデイリーの記事が書けないというのだ(榎並さんの記事の編集担当は僕です)。聞くと先週の金曜から会社に泊まりこんでいて家に帰っていないのだとか。


そんな忙しい時に呼び出してすみません。

「じゃあ会社で寝泊り一週間」って記事書けるじゃないですか、と言いかけたが、長い付き合いだ。代わりに僕が書くことにした。僕が書くから2時間だけ付き合ってくれ、と頼んだのだ。

それでこの企画である。洗濯しにいったん家に帰るという榎並さんを待ち伏せて2時間付き合ってもらった。そういう意味で、記事の随所に緊張感を感じてもらえると幸いである。


そんな榎並さんのにらめっこ力を知ろうと、普通の距離でにらめっこしてみるも完敗だった。そうだ、おれにらめっこ弱いんだ。

時間がないからさっさと始めます

まずは一般的な距離で榎並さんとにらめっこしてみる。しかしほとんど瞬殺で僕が笑ってしまった。榎並さんが特別強いわけではなく、僕が弱いのだと思う。

距離を離せば話は変わってくるのだろうか。たとえば川の向こう側からだったら僕にも勝機はないか。


というわけで川の他岸に榎並さんを置いて橋を渡る。このまま僕だけ帰っちゃってもおかしいかな、とこの時思ったことは内緒だ。

他岸にいる榎並さんには双眼鏡を持って待ってもらう。


おにいさん、なにかいいもの見えますか。

罪と罰

これはあとで判明した話だが、この場所、榎並さんのいるところからちょうど対岸に大人向けのホテルが建っているのだ。

「絶対のぞきだと思われたと思います」

そんなことないですよ、と言っておいたが、河原を散歩する人たちの目線はたぶん榎並さんを容赦なく突き刺していたことだろう。仕方がない、これも原稿書かない罰だ。


いや、わざとじゃないですよ。


ちなみに次の記事はどうしますか、って榎並さんに聞いたところ

「ふるさとに帰る、みたいな企画できないかなって思ってまして」って言ってた。かなりきてるのかもしれない。もっと優しくしなければいけないなと思った。


忙しくてやせましたか、って聞いたら「余計に太りました」と言っていた。食べるくらいしか楽しみがないのだそうな。


しばらくして僕が対岸に着いた。行ってみるまでわからなかったのだが、対岸は船宿の敷地内のようだった。その船宿がどうやら大人のホテルも経営しているらしい。つまり叱られるときは僕も一緒でしたよ、ということを主に榎並さんに向けて書いています。


フロム榎並ビュー。

川の対岸といっても50メートルくらいの距離だ。3倍の倍率の双眼鏡でお互いを見たら、その表情まで読み取れるんじゃないだろうか。表情さえわかればにらめっこは成立するはずだ。


のぞく人をのぞく人。

結果、表情まったく伝わらず

下の写真を見てもらいたい。ご覧の通りの結果である。榎並さんが双眼鏡をのぞいているのはわかる。でもその表情までは読み取ることができない。

いや、正確には読み取ることができる気もする(たぶん早く終わってくれ、的な顔しているんじゃないか)、しかしそれは憶測が視覚に影響を及ぼしているからとも言える。先入観を捨ててもう一度見てみると、笑っているのか怒っているのかわからない。


うーん、わからん。この企画自体、わからん。

あきらめずに距離をつめる

ためしに距離を約半分に、川にかかる橋の途中からに縮めてみることにした。おおよそ20メートルくらいの距離だと思う。どうか。


欄干から見下ろす。
双眼鏡なしに見るとこんな感じ。

微妙だ。

下の写真を見てほしい。なんとなく榎並さんがおかしな表情をしているようにも見えなくもないが、そうではなく単に渋い顔しているだけなのかもしれない。携帯も榎並さんのいる場所にカバンごと置いてきたので、実情を確かめる術がないのだ。大声出したら会話できる距離だが、こういうときなんて言ったらいいのかもわからず、しばし双眼鏡越しに見つめ合うだけだった。

しばらく見つめ合っていたら榎並さんが双眼鏡を下ろしてカバンをごそごそしだしたのが見えたので、きっと飽きたんだろうなと思って戻ることにした。


遠距離恋愛。

さらに距離を縮める

もうちょっと距離を詰めてみよう。道の両端である。その距離約10メートル。このくらいだと肉眼でも榎並さんの表情がなんとなくわかるようになる。

このくらいの距離、双眼鏡を使うとにらめっこできるのか。


大人にはいろいろ事情があるのだ。

このくらいの距離でにらめっこするとおもしろい

このくらいの距離だと完全に榎並さんが僕を笑わせようと変な顔してくれているのがわかった。双眼鏡なしだと怒っているように見えたので、これには内心安堵した。


明らかに変な顔してる。

だが、変な顔しているのはわかるのだけれど、お互いに双眼鏡を目に当てているためか、さほど面白くないのだ。にらめっこの面白さは視線が合わさることに起因していることがよくわかった。

明らかに変な顔しているんだけど、双眼鏡で目が見えないのでいまいち笑えない。
と思っていたら急にへそ出されて負けた(笑ってしまった)。

道具である双眼鏡がネックになる

結果、川の対岸でにらめっこをするのはちょっと厳しいことがわかった。双眼鏡の倍率を上げたらいいとかそういう話ではない。目が隠れているのでにらめっことしておもしろくないのだ。

にらめっこが成立するのはやはり裸眼で表情がつかめる距離までだということだ。そういう意味では「対岸でにらめっこ」は「もどかしい」とか「意味のない」みたいな時に使える表現であるといえる。


つき合わせちゃってすみませんでした。

にらめっこは暇な時にやるべき

今原稿を書いていて思ったのだけれど、もしかしたら撮影時間が予定より延びたので榎並さんは笑っていなかっただけだったりして。仕事がひと段落ついたら一緒にふるさと探しに行きたいと思います。

逆に近い場合はどうか(虫眼鏡を使用)、と試してみたのだけれど、やっぱり負けた。


 
 

 

 
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