なんで引っ越しの時って、荷物が無くなったからっぽの部屋を撮りたくなるんでしょうね?確かに「あるべきものがなくなった状態」ってどこか心がぞわぞわさせるものがある。そしてそのぞわぞわ感はヒトの部屋だけじゃない。動物園にもけっこうあるんです。
(大坪ケムタ)
カワウソ宅だってうらさびしい
動物園は言うまでもなく動物がいるところ。しかし常に全ての動物がスタメンバッチコイ状態なわけではない。時に何らかの事情で不在となった獣舎、いわば「主なき住まい」がある。これが引っ越し中の部屋のような妙な哀愁や寂寥感があるのですよ。
たとえば上野動物園。さすが秋の行楽シーズンてやつですごい親子連れの数。小学生以下無料だしね。
透明ボックスみたいな派手展示がある分「いるべきものがいない」感が強く漂ってくる。うらさびしい感じ。カワウソ見に来たワケじゃないけど逆にこれで印象深くなった。入り口に近いのもあって、次来た時「いる?」と気にしてしまいそう。別のゾーンに代わってたらさらにせつない。
また「いない理由」もいろいろ。続くこちらはゴリラが見れる獣舎一帯。ジャングルを模した広々としたこの空間、「ゴリラゾーン」「ゴリラ房」って言うとかっこいい。
実際は見えづらかっただけで他に数頭ゴリラはいたようだけど、この表記を見ると転校していった生徒の机がぽっかり空いてるような空気を感じる。在校(在ゴリラゾーン)時見てたわけではないけども。
板橋もうらさびしい。吉祥寺はそうでもない。
さてそんなぽっかりした檻は上野だけではない。たとえば板橋区にも。というか板橋に動物園があることすらなかなか知られてないでしょうが、東京都民でも。
この手の水槽のさびしさはどこか「面倒みきれなかったんだね…」という雰囲気がにおう、てのもあるけど。さすがに動物園でそれはないと思いますが。だよね?
しかし、もっと一時的な主なき住まいもある。たとえばこんなの。今度は吉祥寺へ。
封鎖!て感じの塀ですら重々しいのに、この表示。ヒトで例えるなら「吉田と西川はいるけど、佐藤はいないよ?」みたいな感じでちょっとせつない。佐藤、いやホッキョクグマも早く帰ってこれますように。
ちなみに同じクマの一種、ジャイアントパンダも今は不在。パンダ舎も施設改修中で白い壁に覆われてます。先のような「檻はあるけど、誰もいない」だと不在感に寂しさを覚えるけど、工事の壁だとつまんねーな、としか思えないですね。思いが募らない。
ここまで来ると「部屋がぽっかり」ではなく「マンションに建てかわっちゃった…」って感じですな。
一時はいなくてもまたその空間に動物は帰ってくる。それは引っ越し物件よりも確実な話で。んじゃその時また見に行ってみようか、と思わせるのが動物の愛玩パワーですな。見れるものなら自分が住んでた昔の部屋の現状も見てみたいけどね。
引っ越ししても元気です
ちなみに上野動物園のカピバラは大宮のこども動物自然公園から移ってきたものらしく、檻には大宮の人たちからのメッセージが書かれた色紙が展示されてました。まだ大宮のカピバラ舎はうらさびしいままなんでしょうか…。