先日、隣街のスーパーで野菜を買って、電車に乗って帰った。
そしたら、電車の中でスーパーのビニールバックを持っているのが、なんだか恥ずかしくなってきたのだ。
とりわけネギの頭ががニョキっと出ているのが、恥ずかしかった。
そういう話です。
(斎藤 充博)
どこから恥ずかしくなるんだろう
確かに電車の中で、スーパーのバッグから野菜をはみ出させている人ってあんまりいない。周りにいないのが恥ずかしいのか。それとも電車だから恥ずかしいのか。
徐々に探ってゆきたい。まずは近所のスーパーから。
何の問題もないです。当たり前の風景。 前に電車に乗った時は恥ずかしかった…それでは乗りものつながりでバスはどうか。
全然恥ずかしくない。このあたりはまだ日常の風景だ。 …ただ、いまこの原稿を書くにあたり、画像を改めて見るとこの仁王立ちのポーズがなんだか少し恥ずかしい。
恥ずかしさは突然に
ひょっとしたら、先日駅で感じた恥ずかしさはなんかの勘違いだったんじゃないだろうか。そう思ってそのまま駅に来てみると
よく考えたら、先日電車に乗った時に充分恥ずかしかったわけで、それを確認しているという動機も相当恥ずかしい。
なんで恥ずかしいことを二度やるのか。恥ずかしいのが好きなのか。そんな風に頭の中でぶつぶつ言っていると何も考えられなくなってくる。じっとりと汗をかいてきた。
気づいたことが一つあって、山手線の車体のラインカラーとネギの青い部分の色は一緒だ(右上画像)。
でも山手線がネギと親和性があるかというと、全然そんなことはなくて、むしろ最初に乗った京浜東北線よりも恥ずかしかったような気がします。
明確に恥ずかしい
在来線でこれだけ恥ずかしいのなら、新幹線のホームでは一層恥ずかしいんじゃないか。ドキドキしながら行ってみると
驚くべきことに、ネギ持ってるとみんな判で押したようにジロジロ見てくるのだ。ネギがそんなに珍しいか。
確かに新幹線のホームでスーパーの袋持ち歩いている人はあまりいない。でもよく考えて欲しい、これはただのネギなんだよ!一々見るほどのモンか!そんな風に騒いでやりたいが、騒いだら余計恥ずかしいので騒がない。
ところで、読者の方には「ネギ持っているだけで普通のカッコでしょ?デイリーポータルって、もっと恥ずかしいカッコして外に出るようなことたくさんやっているよね」って思っている人もいるかと思う。
しかしそんな極端な目立つことをやるよりも、この「ちょっとだけヘン」な方がずっと恥ずかしい。自分の頭の中で吹っ切れるタイミングが、どうしても見つからないのだ。
それじゃ街の中はどうなんだ
このさい、思い切って繁華街に出てしまえば恥ずかしくないんじゃないだろうか。例えば渋谷を行き交う人たちは手持ちののネギなんか一々見ないに違いない。
そう思って渋谷のスクランブル交差点の所まで来てみたのだが
ここなら、みんなネギなんて見ていない…と思いきや、視界の端でしっかりビニール袋のネギを追っている。
露骨にジロジロ見るような人こそいないが、チラチラ見ている人があっちにもこっちにも数多くいて、すごく恥ずかしい。
渋谷には色々と目立つ人がたくさんいるのに、しっかりと買い物袋とネギを人が見ているのは不条理だと思う。謝って僕を見ないで貰えるのなら、そうしたい。でも往来で謝りはじめたらみんな余計にこっちを見ますよね。
ここでここまで恥ずかしいのなら、もっともっと人通りの多いところに行ったら、僕はどうなってしまうのか。そして一駅電車に乗って原宿は竹下通りに来てみると
原宿に来たらもうどうしようもなく恥ずかしい。カメラと買い物袋をまともに見れない。うつむきがちな撮影となってしまった。
都庁でネギをまさぐられる
しかしこの話、恥ずかしい恥ずかしいと言っているだけで、一体どこでどう区切りをつけたら良いのか、わからなくなってきた。そんな「何がなんだかわからなくなっている状況」の一環で来てしまった、新宿の都庁で意外なことが起きた。
都庁の展望台。
ここに行ってみようと思ったら、エレベーター手前で荷物の検査をしていたのだ。気づいた時には小さく悲鳴が出た。恥ずかしい。
検査台にスーパーの買い物袋を置く。
「はい良いですよー」と守衛さんの声がした。 ん?そうか。べつに良いのか。
見られている最中は、「ネギと大根とコンニャクで豚汁を作る気でいた」ということがバレた!と思って気が気じゃなかったのだが。
そこまで見せて、たぶん僕は吹っ切れたのだ。展望台に向かうエレベーターの中では、もうそんなにネギが気にならなくなっていた。
買い物袋の中身ってパーソナル過ぎませんか
季節はもう晩秋。この日、僕は家であったかい豚汁を作る気でいたのだ。そういう極めてパーソナルな欲望が、ネギを通して生活感のない場所にいる人たちに伝わってしまうようで、それが恥ずかしかったのだと思う。都庁では完全に守衛さんにバレてしまった(と自分で思った)ので、その後どうでもよくなった。
しかし、豚汁を作る事自体はよく考えたら別に恥ずかしくないのだ。こういう気持のアヤって、やっぱり何だかわからない。