当サイトで以前、「カオスとしての石屋の店先」という記事を書いたことがある。石屋に並ぶ商品がかもし出す、独特の雰囲気をレポートしたものだ。
あの記事を書いてからも、ずっと気になっていた石屋さん。たまたま通りかかると、いつも目を凝らしてはモヤモヤした気持ちになっていた。
まとまった形で見てみたい。モヤモヤの答えをはっきりさせるならば、産地に行ってみるのが手っ取り早いだろう。
果たしてそこに決着はあるのだろうか。答えを求めて本拠地に乗り込んでみた。
(小野法師丸)
本場のカオスを見てみたい
以前の記事で観察した石屋さんは千葉県内のものだったのだが、今回行ってみたのは、花崗岩の産地としても有名で、石の三大産地にも挙げられる愛知県岡崎市だ。
正直なところ石の三大産地については今回調べて初めて知ったのだが、さすがは本場だけあって岡崎市には石専門の工業団地がある。ここにたくさんの石専門業者が集まっているのだ。
これでもかと並ぶ石工品。神社まであって、もちろんがっちりと石製でかっこいい。
それぞれの店先には職人の技術の結晶である品々がたくさん並んでいる。七福神はやたらとでかいし、お地蔵様も数で勝負してくる。界隈をブラブラしているだけで、非日常性がぐいぐい押し寄せてくる。
基本的にはかっこよくて、おめでたさやありがたさが漂う石工団地。ただよく見てみると、どうもそういう枠組みではとらえ切れないものも目に付くのだ。
必勝祈願とおぼしき人形は、どうも本気度がよくわからない。横にある坊主像もそのことを疑問に思っているように見える。
そしてカッパと裸婦。一応大人になった今なら、こうした組み合わせにもそれほど動揺しないで済むが、思春期の男子が見たら、どう解釈したらよいかわからなくて混乱するだろう。
仏像系かと思わせておいて、「貧乏神」とある像も立っていた。よく見るといかにもそんな感じの顔つきで、不用意にお参りしない方がよさそうな雰囲気だ。
ときどき雑貨屋で見かけるような張り紙も、この団地では「石のコッパご自由にお持ち帰り下さい」。これ自体が石碑になっているのもすごい。
入場料があるわけでもなく、自由に入れてこんなに不思議な気持ちになれる石団地。岡崎市内にはもう一つ石工団地がある。
一つだけでは収まりきらないのか、団地が複数あるのがさすが本場。石のタヌキもいきなりでかい。交通量がそれなりにある道に立っているこのタヌキ、 信号待ちのドライバーにとっても気になる存在ではないだろうか。
厳かさとおめでたさ、ありがたさが基本ムードになっているのは先ほど見てきた公園団地と共通。そしてよくよく見ると、どうしたんだろうと思うようなものがあるのもまた同じなのだ。
どう捉えればいいのかわからなくなって、写真につけるキャプションも適当になってくる。昔見た映画でブルース・リーが「Don't think. Feel!」と言っていたのを思い出したが、そういうことでいいのだろうか。
それはちょっと違うなと思いつつ、先ほどの公園団地と、この石工団地との違いに気がついた。公園団地は郊外にある石工場の集合体という感じだったのだが、こちらは市街地近くにあるためか、経営者や職人の住まいもセットになっていて、住んでいる人たちの息づかいが感じられるのだ。
子供向けの注意看板があるなど、生活空間としての空気を感じられるのがおもしろい。石でできた囲いはよく見るとゴミ捨て場。ゴミ出しルールも石版に彫られていた。石の本場の気合いがこんなにところにもにじみ出る。
さて、再び作品に目を向けよう。混乱はじっくりとボルテージを上げてくる。
解釈を拒絶するかのようなオーラを漂わせる作品群。石という硬い素材で、お餅という柔らかいものを表現する姿勢に職人の気概を読み取ろうと思ったが、そもそもこれはお餅でいいのかという迷いが振り切れない。
そして唇。何回も自問したが、これは唇だよね、そうだよね…、というところで思考が停止する。石製の唇。得も言われぬ孤高がそこにある。
ハードボイルド小説で有名なセリフも、石に書いてあるとなぜだか改めて「そうだな」と思う。これも石のイリュージョンか。
10月には毎年行われている「岡崎ストーンフェア」というイベントも行われるそうだ。石団地では毎日普通にストーンフェアという様相だが、さらに規模が大きいイベントなのかもしれない。
気軽に散歩するだけでも、独特の雰囲気を相当楽しめる石の工業団地。そこにあるのは普段見かける石屋と共通の雰囲気だが、凝集されている分だけカオスが濃い。
でかい、硬い、ありがたい。そして意外な方向から心を揺さぶってくる石屋の店先。ちょっとしたテーマパークのようでもありました。