夢と現実の狭間に
小顔になって行きたいところ、それは渋谷だ。
素の状態だともっさりしがちな私にとって、おしゃれな若者が行き交う渋谷は敵の本拠地のようなところ。なのにわざわざやってきたのには理由がある。
目指したのは渋谷の代表的なファッションビル、109。この記事を書くきっかけになった榮倉奈々は、109の前でスカウトされて芸能界に入ったのだそうだ。
小顔という点では、今の自分なら榮倉奈々に負ける気がしない。どうやら私にも芸能界入りする時が来たらしい。小顔文化に対する自分なりの復讐でもある。
とりあえず素の自分のままで109の前に突っ立ってみる。これでスカウトが来たら自分を偽る必要はないわけだ。そういうわけでしばらくぼーっと立っていたわけだが、そんな奇跡は起きるはずもない。
これは想定内のこと。自分を奮い立たせて、今こそ新しい自分に生まれ変わるのだ。
こうして写真を見てみても、榮倉奈々に決して負けていないという自負はある。これなら程なくスカウトがやってくるに違いない。
本物の目はタートルネック部分にあるわけだが、全く見えないわけではなく、生地から透けて周囲の状況はなんとなくわかる。ただ、視界がぼんやりして人の目を認識できなくなるのは利点と言える。雑踏にいながら、自分の内面に籠もれるからだ。
視覚で状況をつかみづらい分、自然と耳を澄ませる自分がいる。聞こえてくるのは「えっ!」「何?」という通りすがりの女性の声。
もちろん逆ナンされることも想定していたのだが、やはりこれだけの小顔のためか、二の足を踏んでしまうのだろう。驚きの声を上げたあと、ひそひそと囁きながら行ってしまう女性ばかりだった。
なんだかつらくなってきた。もう少しがんばればスカウトが来るだろうか。
周囲の状況を確認するために一度タートルを下ろしてみる。ちょっと離れたところに、さっきまでいなかった人がいるではないか。あの服装は、警備員だ。
行き交う人たちを前に立ちながら、ときどきこちらをチラッと見てる。とりあえずは意味不明の不審者という認識レベルのためなのか、具体的なアプローチをしてくるわけではないが、ターゲットが私であることは間違いない。
スカウトは来なかったが、警備員が来た。今回の試みでわかったのは、109の防犯体制はとてもしっかりしているということだ。
小顔をもてはやす風潮に対して「今に見ていろ!」と感じていた思いを実現した今回の試み。実現の仕方が間違ってるんじゃないかな、とは薄々気付いていたが、自分にはこうするしかなかったのだ。
それでも、人は何度でも生まれ変われるということは証明できたと思う。自分のしたことに失敗の烙印を押したくはない。
生まれ変わることができつつ、元の自分にすぐ戻れるのも便利なところ。今日からまたナチュラルなデカ顔の自分で生きていきたいと思う。