小学校5年生と6年生の夏休みの宿題につくった工作を、今でも鮮明に憶えている。再現してここに公開することで、工作が苦手な小学生たちの励みになればと思う。
(櫻田 智也)
小学校5年の夏休みの作品
5年生のときの工作のモデルに選んだのは、函館にある五稜郭タワーだった。ぼくは小学5年から中学卒業まで函館に住んでいた。
五稜郭タワーは最近新しいものが建てられ、ぼくが小学校の頃にあった旧タワーは、たしか取り壊されてしまっている。この旧タワーの写真は当時ぼくが撮影したもの……ではなく、タワーファンサイト『TOWER FANTASIA』の豊科さんより提供していただいた。
TOWER FANTASIA https://www7.plala.or.jp/tower/
さて、5年生だったぼくは、このタワーをモデルとしてどんな工作をつくりあげたのか。 忘れようとしても忘れ得ない、その雄姿をご覧いただこう。
既にシンボルとして存在しているタワーを、さらに極限までシンボライズした無駄のない造形。
材料とつくりかた
<材料> 豆腐の空パック2個 ラップの芯 お菓子の空箱
<つくりかた> はり合わせた2個の豆腐パックを、お菓子の箱に立てたラップの芯に乗せる。
<アドバイス> 提出の際は「笑われてるんじゃない、笑わせてるんだ」という強い気持ちで。
念のため言っておくと、この工作、休み前に担任に提出した『夏休みの計画表』に描いた設計図に沿って予定どおり作成したものであり、決して「やっつけ」でつくったわけではない。
それにしても工作に対するスタンスが実に潔い。塗るとか何とか、手間をかけたように見せるやり方はいくらでもあったと思うのだが、
われながら身の程を知っているというか、自分の能力に対する見切りが既にできている。 さすが卒業文集の『将来の夢』に、「係長」と書いただけのことはある。
しかしながらこのタワー、言ってもそこは小学校高学年の作品であり、しかもぼくは生徒会の書記次長まで務めていたのだ。実はそれなりの工夫をほどこしている。
コレだ。
夜のタワーの美しさまで再現すべく、中に豆電球を仕込むという工夫。本物のタワーの場合は外側からライトアップされるわけだが、タワー自らを発光させた。
始業式の日、袋からとりだして笑いものになったと思いきや、すかさず光らせてもうひと笑いである。
小学校6年の夏休みの作品
5年生のときは「五稜郭タワー」による失笑で2学期を迎えたぼくだったが、それから1年経ち、6年生の夏はひと味もふた味もちがっていた。モデルあっての工作ではなく、完全オリジナル作品に挑戦したのである。 コレだ。
ポップな台詞を言わせてみたところでどうにもならない化け物具合。 先ほどのタワーも再現率はそうとう高いと感じていたが、この化け物、はっきりいって当時をほぼ完璧に再現できたと感じる。二十数年ぶりに会ったのに「おまえぜんぜん変わってないな!」という印象だ。いや、変わっていないのは自分のほうか。
ちなみに着色前の化け物はこんな感じだ。
<材料> 紙粘土
<つくりかた> 持ち前の精神の不安定さを生かして粘土をこねる。
<アドバイス> 首をちょっと傾げさせると一層不気味に。
しかしながらこの化け物、言ってもそこは小学校最終学年の作品であり、しかもぼくは生徒会の会長まで務めていたのだ。もちろんそれなりの工夫をほどこしている。
「光らせたらどうにかなると思うなよ!」と、昔に戻って説教したい気分だ。 最初期のウルトラマンのようなギラギラした顔つき。だがコイツは確実に正義の味方ではない。
そういえばこの着色、なんだかサムライブルーみたいになっているが、ワールドカップイヤーとはぜんぜん関係ない。
記憶によれば、これはかの大ヒット漫画『ドラゴンボール』の「ピッコロ大魔王」の服装をイメージしていたのではなかったろうか。
当時は自分でも「コレは何なのか」という説明ができなかったのだが、もちろん今もできない。 何なんだコレは。 ただ、この作品を担任がずいぶんと気に入り、クラスの選抜作品として1ヶ月ほど図書室に展示されることになったのは憶えている。イヤガラセか。
世の子供たちは夏休み真っ盛りである。 北海道の夏休みは短いので、いつもお盆が過ぎれば2学期のスタートだった。この記事が公開されるのは8月10日だろうから、そろそろ宿題にとりかからないといけない時期である。冒頭「小学生たちの励みに」などと書いたが、お父さんお母さんは是非この記事を子供にみせて、「この人はちゃんと宿題をやらなかったからダメな大人になったんだよ」と、脅しをかけたらよろしいと思う。