頭と直径の同じものを
先ほども書いたが、僕の頭の直径を測ったら18.5センチだった。
もちろん頭は真円ではないため実際には直径とは呼べないかもしれない。しかし、とにかくこの巻尺で測ると僕の頭は18.5センチということなのだ。
僕の頭の直径18.5センチと同じ径の物はどこかにないだろうか。あればそれの触り心地はほぼ僕の頭と同じはずだ。
自分の頭と同じ大きさの柱を探す旅。ガラスの靴を持ってシンデレラを捜す王子様のようだ。
公園の時計はさわり心地が同じくらいだったため期待したのだが、わずかに1センチ違っていた。1センチ違うと円周で3センチ違うことになるから結構な差だぞ、というのは先ほど林さんを測った時にも思ったことだ。
いろいろ測り歩くうち、なんとなく目指す直径を持つ円柱を見分けられるようになってきた。これは!と思って測るとだいたい20センチ前後を示す。頭眼(あたまがん)が身についたのだ。またいらない能力が一つ増えた。
この木は節の部分を除いて直径約19センチだった。僕の頭と誤差0.5センチ。もうほとんど同じと言ってもいいんじゃないだろうか。
直径1メートルで神が宿る
ここで余談を少々。木をいくつか測っていて思ったのだが、直径が1メートルを超えてくると、なんというか神々しい迫力が備わってくるように思う。
それは人工物でも同じだった。柱でもなんでも、直径が1メートルを超えると、おいそれと測らせてもらうのが怖い。両腕で抱えられないので巻尺を渡すのに苦労するし。
直径1メートルというのはそこに神が宿る境目なのかもしれない。
それは上野にあった
さて頭と同じ太さの柱探しに戻りたい。
しかし探すにもまったくあてがなかったので、会社を出るときにチームのスケジューラーに「都内」と書いたのだが、上司に「それは行き先として漠然としすぎだ」と言われてしまった。
しかたなく思いついた「上野」と修正したので、今上野界隈にある柱を手当たり次第測っているというわけだ。
あった。あってしまった。
実際はここに至るまでに2時間ほど測り歩いているわけだが、やっていることは似たような柱の計測だけなので涙をのんで端折る。
結論からいうと僕の頭と同じ直径の柱はJR御徒町駅の改札を出てすぐのところにあった。
うれしくて触ってみたり写真撮ったりと、5分くらいその場で興奮した。ただの信号の柱が、僕にとって特別な存在に変った瞬間だ。
直径も一つの情報
直径で見ると物が特別な情報を持って見えてくる。
たとえばこの信号の柱が良い例だ。普段ならば確実に目にも入らなければ触れることもなかったであろうこの柱が、自分の頭と直径が同じだと分った瞬間に大切な物に見えてくるのだ。たぶんこれからここを通る度に触ると思う。物から情報を一つ取り出すと、見えなかった物が見えてきたりするのだ。
みなさんも暇で暇でしかたがない時は試してみて下さい。