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ひらめきの月曜日
 
幻の飲料「どりこの」を追う


 

「どりこの」という飲み物を御存じだろうか。
「御存じだろうか」なんて偉そうに言ってみたものの、じつは僕もよく知らない。なぜなら「どりこの」は何十年も前に製造が中止されているからだ。

ある日の新聞に“幻の飲料”「どりこの」を紹介するコラムがあった。「“どりこの”は昭和初期に爆発的にヒットし、一時は年間100万本も売り上げていた」という記事だ。

“幻”と聞いて胸がむずむずした僕は、この「どりこの」について知りたくなり、調査を開始することにした。

榎並 紀行



図書館で「どりこの」情報をリサーチ

新聞記事によると「どりこの」は昭和初頭〜昭和19年まで製造・販売されていたらしい。その時代の文献を探せば「どりこの」に関するヒントにめぐり合えるかもしれない。


江戸川区で一番大きな中央図書館へ

そこで、当時の新聞記事から「どりこの」の情報を探してみることにした。それほどメジャーな飲み物ならば、何かしらの記述があってもおかしくない。図書館に所蔵されていた「どりこの」販売当時の新聞から、その歴史をひもといてみたい。

中央図書館には昭和2年から現在までの新聞が所蔵

さあ、ひもとくぞ

 

「どりこの」の広告がいっぱい

昭和初頭といえば世界恐慌のあおりを食って日本も不況にあえいでいた時代。現代の世界情勢と似た状況だ。

当時の紙面からは未曾有の不況と、それにより緊張の度合いを高める世界情勢が読み取れる。

「こんな不況なのにプロ野球選手の給料は高すぎだよね」という内容の記事がおもしろかった。


当時の厳しい世相を伝える新聞

そんな不況の時代に生まれた「どりこの」。なんと大新聞の一面を使った大規模な広告を打っていた。

なんと「どりこの」の一面広告

上は昭和6年2月8日の朝日新聞。これだけでなく、特に昭和5〜7年頃には「どりこの」の広告が頻繁に登場する。

不況下だけあって、小さな掲載スペースに簡素なコピーを用いただけの広告が多い中、「どりこの」の広告は、どれも2分の1ページないし1ページを使い、無数のコピーと情報をちりばめた贅沢なつくりとなっている。そこに踊るのは、不況下であることを全く感じさせない景気のよい文言。

「驚くべき大売行!」

「発売早々熱狂的大歓迎!四方より感謝状山のごとし」

「刻々激増する大注文! 全工場あげての大努力!」

「昭和の寵児!どりこの時代来る!」

「国を挙げて賞賛、大歓呼!」

さらに、その味についても以下のような表現が用いられアピールしている。

「大好評! 冷たき一杯は正に味覚の王! 夏の飲み物としてこの上なし!」

「どこへ行ってもどりこのは大人気です。トテモ偉い評判です。こんな美味しいものを飲んだ事がないと感謝激賞の書状山積のありさまです」

激賞、激賞の嵐である。まさに「もうかって仕方ない」と、ひとり笑いが止まらない様子を読み解くことができる。

 

「どりこの」は栄養ドリンク

ところで、どうやら「どりこの」はただのジュースではなく、滋養強壮剤らしい。「飲むと直ちに血となり精力を増す新滋養料」とある。今でいうユンケルみたいなものか。

他、広告から読み解くところによれば「どりこの」とは

・万人向きの理想的滋養ドリンク

・主成分はブドウ糖、果糖、アミノ酸で、とても甘い

・色は眩しいほどの黄金色

・原液をお湯や水で5倍程度にうすめて飲む

・開発したのは医学博士の高橋孝太郎氏

・値段は1瓶1円20銭(送料は18銭)

・販売元は出版社の講談社

この時代に1円20銭は、そこそこの高額商品。ユンケルでいえばシリーズ最高値の「ユンケルスター(4000円くらい)」である。ユンケルはビジネスマンがここぞの局面で飲むイメージだが、「どりこの」は高額にも関わらず、子供から大人まで日常的に飲まれていたようだ。


さらなる情報を求めとある場所へ

 

所沢に瓶の持ち主がいる

「どりこの」への関心は増すばかりである。そんな折、とある筋から「どりこの」に関しての貴重な情報を手に入れた。

なんと埼玉県の所沢市に「どりこの」の瓶が現存しているというのだ。


所沢のギャラリー&アトリエ「アダマ」さん

所沢の陶芸家、今泉兼満さんのアトリエ「アダマ」。昨年ガラス瓶の展示会が行われ、どこに「どりこの」の瓶も登場したとか。

電話で確認したところ、現物を見せてくれるということなので、所沢まで足を運んでみることにしたのだ。


「まあ、お上がりなさいよ」

「まあ、ビールでも飲みなさいよ」

会うなりいきなりビールで乾杯。見た目のダンディな印象とは違い、今泉さんはじつにフランクな方だ。

電話では「現物を見せてほしい」としか言っていないが、あわよくば瓶をぜひ譲ってもらいたいと考えていたのだ。初対面の人にいきなり貴重な品を「くれ」というのは中々チャレンジングなミッションであるが、今泉さんの優しそうな物腰からいけそうな気がした。ひとしきり世間話をした後、こう切り出した。

「あの、瓶を見せていただけますか?」


これが「どりこの」の瓶

今泉さんは「ああ」と腰を上げると、透明のガラス瓶を取り出してきた。これが「どりこの」か。思ったよりずっと大きく、洒落たデザインである。一見、高級な洋酒の瓶のようでもある。

気品あふれるデザイン

まずい。思ったよりずっと価値の高そうなたたずまいである。これを「くれ」というのは(しかもまだ出会って5分の相手に対して)さすがにあつかましすぎる。


瓶の裏には「DKN(どりこの)の文字」

「瓶を見せろ」といきなりやってきた男が「これ、気に入ったからくれ」という。やってることはほとんど山賊に近い。

しかし今泉さんはこんな常識外れの珍客に対し快く対応してくれ「どりこの」についてご自身が知る限りの知識も色々と教えてくれた。

タイミングを測れぬまま、時間だけが過ぎていく。そんな時、今泉さんがふと言った。


「よかったら、それもってくか?」

なんとまあ。世の中には何とも慈愛に満ちた人がいるもんだ。

と思ったら

「8000円ね」と今泉さん。


買った

さすがにここから「くれ」という方向に話を切り返すのは難しそうだ。どんなに一流のネゴシエーターでも無理だろう。

ただ、8000円が高いかどうかの判断もつかないほど是が非でもこの瓶が欲しかったので、「もう、ぜひ!」という感じで、気づけば財布から1万円を出していた。


後悔はしていません

 

「どりこの」を再現したい

思わぬ散財となったが、僕は全く後悔していない。それどころか湧いてきたのは、この瓶を使い「どりこの」を再現してみたいというさらなる欲求。


ということでラベルづくりに着手

瓶は本物なのだから、ぜひこれにそれらしいラベルを張って「どりこの」を現代に蘇らせてみたいと思う。

とはいえ、そのままパクるのは問題がありそうなので、ネットで見つけた「どりこの」のラベルを参考に微妙にデザインを変えた。名前も「でりこの」ということにした。


でりこの

ラベルが完成

ラベルを瓶に張る

では、ご覧頂こう。これがはるか66年の時を経て蘇った「どりこの(でりこの)」である。

おじいちゃん世代には感涙の一枚かもしれません

見事な黄金色が眩しい。これが昭和初期の日本で空前のブームを巻き起こした「どりこの」(のようなもの)である。

ちなみに本物がこちらのサイトに掲載されているので、参照されたい。


ちなみに中身は蜂蜜でした

本物が飲みたい

とりあえず外見に関しては、本物に近いものが再現できたと思う。問題は中身である。何でも「どりこの」の製造に関しては、開発者の高橋博士(故人)が一手に担い、作り方を一切外部には洩らさなかったため、レシピがまったく残っていないという。

ただ、中身についてもぜひ再現し、飲んでみたいと思っている。もし味をご記憶の方がいらっしゃいましたら、ぜひ詳しいお話を聞かせてください。

 
 

 

 
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