大事なものでジャグリング
大事なものでするというのはどうだろうと考えた。 「え、そんな大事なもので。落としたらどうするの!」みたいな感じで「すごい」につながるのではないかと思ったのだ。しかし、僕が大事しているものを考えると「友情」とか「平和」とかなので、ジャグリングには向かない。そこで形ある僕の大切なものでジャグリングをすることにした。
落としたらどうしようという緊張感のない僕の大切なものたち。 やる前から、これは全然「すごい」につながらないことが分かってしまったが、一応やってみることにした。
ジャグリングとしてこの組み合わせは非常に難しかった。 3つとも形がバラバラで投げにくいし、キャッチも難しい。そして、財布からは小銭がばら撒かれる。これで、いつも通りのジャグリングが出来たら、お客さんは気が付かないだろうけれど、自分の中では「すごい」というレベルだった。そりゃ、オレには出来ないわ。
ストーリーだ
次に陶器の湯飲みを準備した。これは落とすと割れる。 しかし、湯飲みなんて100均で売られているから、あまり緊張感がなくすごく感じない。
そこで、考えた。 たとえば、野球選手がホームランを打ったとする。これだけでも十分にすごい。しかし、そのホームランは病気の子供との約束で打ったホームランだとしたら、そのホームランは普通のホームランよりすごく感じる。この原理で、湯飲みにバックボーンとなるストーリーをつければ「すごい」と言ってしまうのではないだろうか。
先祖代々伝わる湯飲みでのジャグリング。これは落としたら大切な湯飲みが割れるという点から、見ている人に緊張感が生まれる。そして、成功すればそこに緩和が生じ、思わず「すごい」と言ってしまうはずなのだ。
目の前でそう説明されてジャグリングを始めたらすごいと言ってしまいそうだけれど、イマイチ心からすごいと思えない。絵が地味だ。しかも、この100均で買った湯飲みはかなり頑丈で落としても割れやしない。かけもしない。すごいな。求めていないすごいを発見してしまった。
悩む
この後も、バラをくわえながらやったら情熱ぽくてすごいかな? とか、走りながらやるとすごいかな? とか、いろいろやったのだけれど、どれもお世辞にもすごくはなかった。全体的にこれはどうしたものか……と言う三点リーダーが永遠に続きそうな展開が続いた。僕は途方にくれた。