あ、におう!
新島の空港から町まで続く一本道、その途中にくさやの里はある。この小さな島には目立つくらい立派な施設だった。
近づくにつれなんだか
・・「(あ)」
そう、間違いない、くさやのあのにおいだ。
「くさやの里」とはいっても干物をフィーチャーしたテーマパークのような施設ではない。あくまでもくさやの製造を目的とした場所だった。そのため見学用のコース等はとくに用意されていない。
今回、特別にこの施設の案内をしてくださる藤井さんは新島水産加工業協同組合の副組合長。なんだか偉い人にお願いしてしまったようで恐縮です。今日はよろしくお願いします。
藤井さんは元々広島生まれ。奥さんの実家、新島でくさや製造の仕事に就く前は東京で働いていたのだという。
「言い意味でも悪い意味でも人と人とのつながりが濃いよね」
とは藤井さんから見た新島の印象。島ではどこに行っても見知った顔ばかりなので、気楽な面も難しい面もあるのだろう。
そんな藤井さんが丹誠込めて作るくさやの製造過程を順を追って見せてもらった。
くさやにする魚は主に青ムロアジという魚。よくみる干物のアジよりも大きくてしゅっとしたスマートな魚だ。他にもトビウオやカワハギ、サンマなんかもくさやにするというが、あまり脂の乗った魚だと干すときに乾ききらないのだとか。ピーク時には1日1トン以上の魚をくさやにする。
くさや、作ってもらいました
魚は一匹ずつ手で腹開きにしてかられいな水でしっかりと洗う。くさやの製造がここ新島に適している訳は、この地下からわき出すきれいな水にひとつあるのだとか。きれいで豊富なわき水は近隣の島へ送水しているほどだ。
きれいに洗われた青ムロアジは脂がきらきら光っていた。外に向かって反り返っているのが鮮度のいい証拠なのだという。
きれに洗った魚をいよいよ「くさや液」につけこむ。一般的な干物だとここで塩水につけるところだが、くさやを作るためにはこの「くさや液」につける。
「くさや液」はかつて貴重だった塩を節約するため、つけ込んだ液を繰り返し繰り返し使い続けるうちに魚のうま味が溶け出して熟成されていった秘伝の液なのだとか。かつては各家に家宝としてこの液があった。
いや、、、目にしみます。
このにおいから、くさや液は魚の内臓が腐敗した物、という俗説があったりするらしいが、それはまったくの間違い。実際にはかなり高度に衛生管理された状態で発酵が進んだ結果のにおいなのだ。腐敗と発酵とではまったく違う(いまここまで息継ぎなしで言いました)。
製造工場の床下にはタンクがあって、そこに秘伝のくさや液がめいっぱいため込まれている。液は連続的に使用すると「疲れて」しまうため、2層式となっていて、片方を使っている間、もう片方は休ませているのだとか。
「くさや液は商売始めてから107年、作り始めてからだとたぶん300年くらいは使い続けてると思うね」
このにおいの中には300年の歴史が溶けているのだ。藤井さんが「家宝」と言っていたのがわかる気がする。
洗った魚をくさや液につけ込んでいく。その日の魚のサイズ、脂の乗り方などによりつけ込む時間を微妙に変えるのだという。このあたりは長年の経験のみがなせる技なのだろう。
なめてみました
「くさや液、なめてみますか」
考えるまもなく藤井さんは液の付いたへらを差し出してくる。藤井さんの気軽な口調にもかかわらず、僕はかなりひるんだ。だって目にしみるほどのにおいを発するものを口にいれるって、それ大丈夫なのか。
・・・(ぺろり)
お、甘い(でも・・くさい)。
しょっぱい中に同時に甘みを感じるのだがこれが300年分のうまみ成分の味なのだろうか。例えるならば海水の味に似ているような気がした(ただしにおいは富士山レベルだ)。
くさや液につけ込んだ魚はもう一度水洗いされた後、乾燥させる。このときの乾燥時間も魚の種類やその日の天気などによって変えているのだとか。
手作業に次ぐ手作業、こうした過程を見たあとだと、このにおいも納得でき・・
るような気もしなくもないです。
では、食べますか
かつては集落の中に何軒もあったくさや製造所だが、やっぱりくさいので一つにまとめて郊外に移したのだとか。それがこのくさやの里だったのだ。何軒かのくさや製造所が「家宝」のくさや液を持ち寄って日々ここでくさやを作っている。
丹精こめて作られたくさや、やはり食べてみたいと思わないか。