拝殿の奥にはさらに洞窟があり、そこには鍾乳石で造られた何とも神秘的な十一面観音が鎮座していた。いちおう写真は撮ったのだが、バチが当たりそうなのでここには載せないでおく。見たい方はぜひ足を運んでみてください。しっとりと濡れていて、丸みを帯びた、それでいて力強い素敵な観音さまですよ。
それにしても、この拝殿の中にいるだけで心が洗われる気がする。実際、ここに来て京都を感じるかといえば「そうでもない」というのが正直なところだが、そんなことはもうどうでもいいじゃないか、という大らかな心持ちになれる。
あいまいなものをあいまいなままにしておいた方が、事がうまく進むこともある。それが大人のマナーというものだ。 |