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ロマンの木曜日
 
食い込みやすいパンツを突き止める

運河水辺公園

東武野田線の運河駅は、近くに東京理科大があることもあって、人通りも多い。
利根運河で唯一自動車以外の交通の便があるところがこの付近だ。
そこに運河水辺公園がある。
実は先日、当サイトのライター大山さんと萩原さんと3人で、ここを訪れていて、そのときにこの利根運河の雰囲気がすっかり気に入ってしまい、端からはしまでを歩いてみたいと思い立ったのだ。


公園には彼岸花が咲いていた

そういえばきれいな花や
アヒルなどもいる

利根運河の歴史

利根運河が私設の運河だというタイトルで話を進めてきたが、それについてまだ詳しく説明していなかった。
運河水辺公園にはあちこちに、利根運河ができた過程と歴史について書かれた表示がある。
これを読むだけで、利根運河のことをかなり知ることができる。


利根運河の歴史と現況

国の事業として認められなかった

記事の最初に「利根運河株式会社」がこの利根運河を作ったと書いたが、この運河がなぜ公共事業ではなく民間の手で作られたのか、すこし紹介しよう。
そもそもこの運河の発案者は、当時の県議会議員だった人で、その発案に県や国も協力し、オランダ人の技師ムルデルを調査に当たらせ、利根運河の計画を進めていったのだが、この時代は物流が水運から鉄道に変わり始めたころで、鉄道建設派の利権が絡み、結局公共事業として認められなかったということらしい。


くわしい歴史が書いてある看板
これがムルデルさん

利根運河の完成を願う地元の人たちや運河計画の発案者たちが尽力して資金を集め、会社を組織して運河を作ったというのだ。
利根運河の建設が始まったのが明治21年で、完成したのが明治23年。延べ220万人、一日3000人の手で運河を完成させたそうだ。
最盛期には年間37000隻の船が利根運河を利用したのだが、鉄道の普及で利用する船は減ってしまい、それに利根川の洪水にで運河の堰が壊れてしまったことが重なり、昭和16年に運河としての役目を終え、利根運河株式会社は解散した。


江戸川河川事務所運河出張所内に併設された交流館

利根運河交流館

運河水辺公園のすぐそばに、国土交通省江戸川河川事務所の運河出張所という役所があり、そのなかに「運河交流館」という施設がおかれている。
ここにも利根運河に関するパンフレットや資料が展示されていて、地元の小学生の地域学習の教材として利用されているとのことだ。
中に入ると、子供たちが書いたムルデルさんの似顔絵や、河川改修の歴史などが飾られていた。


利根運河についての情報がいっぱい
ほかのオランダ人技師の情報も

増水して浮き橋が渡れない

利根運河の歴史に詳しくなったところで、もう一度運河水辺公園に戻ってきた。
先日来たときに、運河にかかる浮き橋を渡ったのだが、このところの大雨による増水で、浮き橋が渡れなくなっていた。
治水管理が今ほど進んでいなかった当時だったら、ひょっとしたら大災害になっていたのかもしれないと思うと、橋が渡れないくらいでがっかりしてはいけないなと思った。
ほんとはもう一度わたりたかったんだけど。


運河に浮かぶ橋が魅力的だったのに
わたれなくなっていた

ゴールはまだ先

浮き橋に未練は残るが、今回の目的は江戸川だ。
まだ3km先なので急ごう。
また堤防の上の道をまっすぐ歩き続ける。
日はだいぶ西に傾いてきたけれど、正面から浴びる日差しはまだ暑い。


まだ歩きます


 

 
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