学校が不安
学校へ着いたら着いたで、講義をきく気にもなれず学食でたまごうどんを食べる。不安で胃が弱っていてもたまごうどんはやさしく迎えることができる。
1本ずつ食べる
たまごうどんを食べながら、持ち歩いていた文庫本を読む。その日読んでいた本はキェルケゴールの死に至る病。タイトルは不安な感じだが、内容はそんなに不安ではない。
言いたいことは 「死に至る病とはいうのは絶望です。みんな絶望した絶望したと言うけれど、全然わかってません。本当の絶望ってのは奥が深いんですよ!」ということだろう。元気があるんだかないんだかわからない。
19世紀の絶望先生
たまごうどんを食べながらキェルケゴールを読む、というのが不安な日常を紛らわす憩いの時だったりするわけだ。
この瞬間だけは貯金箱の出る幕はない…と思われたが。
よくこれでちゃんと写真を撮ったものだと思う
ゼミの女子にからまれた。いやからまれたというか、違うのかもしれないが、こんなことを言われた。
カッコ内は僕の心の声である。僕の現状は上記のセリフで察して欲しいが、心に響くセリフの数々に気分が不安へ逆戻りしてしまった。ちゃりんちゃりん。
無心で貯金する
はじめのうちは不安の分量を考えながらそれに見合った額を貯金していたのだが、やがて勢いだけで貯金するようになっていた。たぶん500円くらい貯金した。小銭なのに。
だが、気付くと不思議と不安が後を引かない。不安の表象としての貯金によって、気持が昇華されているのだろうか。それか貯金箱に小銭を入れる行為がストレス解消になっているのかも。
あらゆる不安の果てに
この日は他にもデイリーポータルZラジオ第2部の収録に参加したり、渋谷で用事があったりして、不安に思うシチュエーションがあった。
大企業の前で就職活動の状況について独白
東京タワーをモチーフに不安を煽るライターの大北さん
詐欺
変な場所で待ち合わせ
不安の重さは
いつしか貯金箱はずっしりと重くなっていた。掌の上にのしかかるこの重さが、今日一日の僕の不安の正体である。
1日で結構つっこんだものだ
心理的にはもっと2kgくらいだった
貯金箱に入っていたお金は2230円、その重さは350gくらいだった。これが多いか少ないかは比較対象がないのでわからない。
だが1年続けるとすると、計算では金額にして81万円、重さは128kg近くなる。うーん、なるほど。1年分の不安って、そのくらいだと言われればそのくらいな気もしてくる。
もやもやを形に
不安の原因をすべて取り除いたとしても、そこに不安が残っているかも…というのがもやもやした存在感が不安の特徴かもしれない。
でも、どんな形であれ不安やもやもやした気持ちをきちんと形にすることができればいくらか気分がすっきりするかも、というのが実際にやってみて気づいたことでした。
「檸檬」になぞらえて、本屋に置いてくるのはやめた。