サイクリングの人や散歩の老人が背後を行き交う中、ひとり柵にかじりついて堰を鑑賞。正式名称は「二ヶ領用水(にかりょうようすい)上河原堰堤」と言うそうです。つまり、ここから取水された水は「二ヶ領用水」と呼ばれているわけです。
二ヶ領用水について調べたところ、もともとは豊臣秀吉によって領地を江戸に移された徳川家康が家臣に命じて造らせた農業用水路で、完成したのが1611年。江戸時代の初期も初期、将軍は二代秀忠の時代です。あまり深く考えずに調べて豊臣秀吉とか出てきたのでびっくりしました。
江戸初期と言われてもぜんぜんピンと来ませんが、約400年もの歴史を持つ用水路で、二ヶ領という名前は江戸時代にこの用水が流れる地域が「稲毛領」、「川崎領」と呼ばれていたため。この水路の開削によって現在の川崎市周辺は稲作が盛んになり、収穫された米は江戸前寿司などに使われて、たいそう評判が良かったそうです。
恐らく現在に至るまでには何度も改修され、原型を留めているところはほとんどないと思いますが、家康が命じて造らせた水路がこんな都市の中で今でも現役で使われている、というのは純粋に驚きです。
堰の上流側に目をやると、その用水路が分岐していました。ここから水路沿いに歩いてみることにします。 |