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ひらめきの月曜日
 
麺のまとめ食い


麺をあれこれ用意してみました

先日、某テレビ番組で、雑穀米が取り上げられていた。「あわ」やら「ひえ」やら「麦」やらが何種類も入ったごはんを、若い女性リポーターが「うわあ」と感激しながら食べるのを見ていて、感慨深いものがあった。

それというのも幼少時、我が家のごはんには押し麦が入っており、それを弁当に持参したところクラスメイトから「うわっ、ごはんにゴミ混じってる!」と侮辱された経験があるのだ。小1だった私は、いたく傷付いた。

そんなトラウマ話はともかくとして、雑穀を何種類か混ぜて食べることが立派な市民権を得たいま、そろそろ新たな「混ぜ食い」に挑戦してみたいと思う。麺だ。

雑穀は、健康に気を使う人が好んで食べるものだが、今回試みる「混ぜ麺」には、そのような目的が一切ない。あるのは、ただ好奇心のみである。

高瀬 克子



小麦粉という親

今回使用する麺には、どれも原材料が「小麦粉」という共通点がある。太かったり細かったり丸かったり四角かったりと、形状こそ異なる彼らではあるが、実は兄弟のような間柄と言えるのだ。

小麦粉という同じ親から産まれたものの、その直後からバラバラに養育された麺たち。彼らはそれぞれ、かなり異なる家庭環境に育った。

ある者は国境を越え、いまでは「パスタ」と名乗って世界的な人気を誇っている。またある者は養父母の強い願いでパーマネントを当てられ「ちぢれ麺」として世に出ている。おかげでスープがよく絡まると評判だ。


仲間には、どてっ腹に穴を開けられた者もいるという
彼は、かんすいや卵と政略結婚もさせられた。重婚である

うどんは、わりとシンプルにのびのびと育てられたようでいて、実は「足で踏まれる」というスパルタ式な教育環境で育った。おかげで「腰のしっかりしたヤツだ」と周囲の見る目は温かい。

こちらが病気の時にも優しく接してくれることから「ツライ境遇で育ったせいか思いやりがある」と、かなりの高評価を得ている。なかなかの苦労人なのだ。

蕎麦に関しては、つなぎとして小麦粉が使われている関係上「いとこ」という立場が妥当だろう。


つれ合いも「塩」のみ。どこまでも一本気な男なのだ
かなりの割合で小麦粉が混じっております

皆、それなりに大変な思いをして、ここまでの地位を築き上げた者ばかりだ。そしてその分だけ、今では日常的に人々に愛される存在になっている。

そんななか、非常に大切に育てられたのが、そうめん族に引き取られた彼だ。いや、彼女と言うべきか。


これ1本で、定価ほぼ500円。ありえない。
「白髪」という商品名がピッタリな細さ。とにかく極細。
茹で時間30秒ですってよ、奥さん。

お中元やお歳暮の定番といえばこれだろう。彼女たちほど、贈答品に適した麺は、他にいない。「どこに出しても恥ずかしくないように」と手塩にかけて育てられた、まさに箱入り娘と言えよう。

以上が今回の物語の登場人物…じゃなかった、企画に使用する麺たちである。今回の「まとめ食い」は、以上の5麺で執り行うこととします。いいですか。

 

感動の再会

一堂に集められた麺たちは、同じ鍋に入れられた瞬間から「再び巡り遭うことなど考えたこともなかった」「今世紀中は諦めていた」「おめえ日本語しゃべれっか?」など、再会を喜ぶ声で途端に賑やかになった。

ちぢれ麺は、わからない日本語があると紙に漢字を書くことで、他の麺たちと意志の疎通を図っている。


こういうの、初めて見ます。

そんななか、スパゲッティは全く言葉が通じなかった。他の麺たちと馴染まず、ただひとり体を硬くしている。箸で持ち上げても「しなっ」とならず「ビョン!」と突っ張るのだ。たぶん「てめーらアルデンテって知らねぇのかよ!」と言いたいんだと思う。

さすが、自己主張をしないことには生き残れない国に育っただけのことはある。果たして、この強い態度は喜びを表すものなのか、はたまた怒りによるものなのか。

判断は、食べてからにしよう。


こんな感じになりました。

なにがなにやら…という見た目になった。意図して「こういう食べ方をしよう」と思わない限り、まずあり得ない組み合わせだろうと思う。このビジュアルだけで満足だ。やってよかった。

…いや、見た目で感動してる場合ではない。食べるために作ったのだから、とにかく食べなければ。

麺の味をダイレクトに感じるために、まずは「生じょうゆ うどんのタレ」をかけて食べることにした。


香川のメーカーが作ってます
ひやあつ、ですね
まんべんなくタレを絡めたら、箸で持ち上げますと、
最初に来たのは、ちぢれ・そうめん・うどんの3名

ひとくち食べてみて、なんの違和感もないのに驚いた。微妙な食感の違いこそあれ、そこは小麦粉という同じ親を持つ者同士の連携プレーと言うべきか、どれもすんなりと咀嚼されていく。

ひとり強硬な態度を取り続けていたスパゲッティも、噛み応えという点でいいアクセントになっている。うどんの持つモチモチ感とは対照的だが、決してケンカをしていない。なによりおいしい。小麦の味を強く感じる。


うどんとスパゲッティの2名が、全体をグイグイと引っ張っている模様

そして、このタレが非常にうまい。おかげで最後まで麺たちをおいしく食べることが出来た。

…ああ、わかった。「麺まとめ食い」の明らかな利点は、とにかく「飽きない」ことだ。

大量のそうめんを食べる時など、いくらおいしくても途中で飽きてしまって薬味で味に変化を付けたりするが、この「まとめ食い」の場合は飽きることがない。だって、食べるたびに違う食感なんだもの。

「お、今回はうどんとそうめんか」とか「やっぱスパゲッティはひと味ちがうな」とか「そうめん、意外に存在感あるわぁ」とか、口に入れるたびに新たな感想を持たざるを得ない。食べながら、脳がぼんやりするヒマがないのだ。

これはいい。これは楽しいぞ。


スパゲッティに敬意を表して、ボロネーゼに挑戦
なぜかおいしい

スパゲッティが本領を発揮するのはわかる。だが、他の麺もおいしく感じられるのはどうしたことだろう。

そういえば古賀さんの記事に「中華麺とカレーは合う」という記述があったが、いやいや、ボロネーゼもイケますよ!

おすすめです

単品の麺の場合、アゴが「こんだけ噛んどきゃ十分だろ」と予定調和的な動きをするのに対し、いろんな状態の麺が入ると「ん? これはどれくらい噛めばいいんだ?」といちいち口が悩む。それが楽しい。予測がつかない。

たぶん、どんな味付けで食べようが、どれもそれなりにおいしく食べられるのだと思う。しかも小麦の味を多方向から感じることが出来るというオマケ付きだ。そして先にも書いたが、とにかく飽きがこない。これはいいですよ。本当にいいですよ。

雑穀米のあとは、まとめ麺が来るかもしれない。いや、来てほしい。体にいい点など微塵もないが、楽しいからいいじゃないか。ダメか。(まとめ麺ってのが、どうにも締まらない名前ですが)

今回は参加を見送った、ほうとう。次回は参加させよう

 
 
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