年始のあいさついろいろ
答えは新年である。気が付くとほらもうそこまで来ているぞ。
来年のことを話すと鬼が笑うと言うが、スピードの速い現代である、新年が来てから新年のことを考えていては遅いのだ。
というわけで今日は年明けに普段お世話になっている人に感謝の気持ちを伝えるやり方を考えたいと思う。
正装して手土産を持参する
まずは伝統的なやつから。
いわゆる正統派ご挨拶である。
写真でお気づきかと思うが、今回は日頃の感謝の意を込めて、愛知にある僕の実家に挨拶に行ってきた。というわけで写っているのは僕のリアル両親である。
次はちょっと変化球で。
特攻服に刺繍して参上する
いわゆる特攻服である。かつて土曜の夜になると稲妻のような音をたててこういう人たちが走り回っていたものである。
今回は特別に「賀正」の文句とともに年賀のご挨拶を背中に刺繍した。
特攻服の作り方からそれを見た両親の反応まで、書きたいことは山のようにあるのだけれど、まずは先に進みたい。
普通に考えて新年のご挨拶といえばこちら。
年賀状でごあいさつ
スマホで年賀状
というわけで次のページからは、特攻服を着て帰省するとどうなるのか、親は泣くのか笑うのか、そのあたりについて詳しくお伝えしたいと思います。
特攻服といえばファッションハウスアオキ
でもそのまま通った。この時点で日本郵便最高だ、という思いと(まじか日本郵便)という思いが交錯した。
しかし決まったからにはやるしかない。特攻服といえばここ、関東の不良が聖地としてあがめるお店、ファッションハウスアオキである。
「今年は年末に矢沢さんがライブやらなかったから、少し落ち着いてますね。」
ファッションハウスアオキの青木さんは言う。なるほど、世の中にはそういう需要があるのだ。
こんな伝統のあるショップで特攻服の背中に年賀状を刺繍してください、なんて言ってなの大丈夫なのだろうか。この世界に詳しくないので冗談が通じるのかどうかすらわからない。
でも青木さんいい人そうだし、とりあえずラフっと描いてきたイメージを見てもらった。
青木さんによると、これまで特攻服に年賀状を刺繍したことはないのだとか。
それでもお願いするとすぐに意図を理解してくれ、「賀正の文字は大きい方がいいね」とか「年賀状だから白地に黒が常識的ですよね」など、的確にアドバイスをくれる。さすがはプロである。こうやってドキドキしながら刺繍をお願いしにくる卒業前の中高生も、青木さんになら安心してお願いできるのではないか。
青木さんに刺繍のお願いをしてきた帰り道、なぜかテンションが上がりっぱなしで駅まで走って帰った。
年賀特攻服、完成
そんな水際の攻防を経て、基本的にタキシードを着ます、ということで折り合いをつけた(そういう理由で最初のカットがある)。そんな中、ファッションハウスアオキ・青木さんからメールが入る。
「Re: 刺繍入り特攻服について」
来た。タイトルを見ただけで背筋が伸びたぜよ。その日の夜に急いで取りに行った。
特攻服と家の事情
いよいよこの日がやってきた。
言い忘れていたが、僕は現在実家と折り合いが悪い。
高校を出てからというもの、僕がほとんど家に帰らなくなったことがそもそもの原因なのだが、15年ほど前に父から「二度とこの家の敷居をまたぐな」と言われて以来、互いに距離を置いた付き合いが続いている。冷戦というやつである。
実は前にもデイリーの企画のために帰ったことがあるのだが、その時も鉄のカーテンが取り払われることはなかった(今調べたら5年前である。あの時はノーパンで帰っている)。
そんな僕が、これから久しぶりに帰省することになったんだな。
それにしてもさすがはファッションハウスアオキである。完璧な特攻服に仕上げてきた。怖くて目をそらしたくなるが、よく見ると確かに年賀状である。
駅のホーム。乗り換え検索によると、次の新幹線に乗ると2時間たらずで実家に着くらしい。そうか、そんなに近かったんだ。
乗りこんだ新幹線はコンセントが付いていない車両だった。
おかげでパソコンを使うこともなく、しっかりとこれまでの自分と両親とのいざこざについて思い返すことができた。薄々気づいてはいたが、あれだ、全体的におれが悪い。
親と子とはいえ人と人である。
何もせずに気持ちが伝わるわけはないのだ。やはり足が遠のいたまま、和解の努力もしようとしなかった僕が悪いだろう。
新幹線は減速して実家の最寄り駅で止まる。ここからローカル線に乗り換える。
それはそうと、今回の企画は僕自身が年賀状になって実家に届く、というシーンを撮ることになっている。そこでいちおう地元の郵便局の前に三脚を立てて写真を撮ってきた。配達される前の年賀状のイメージである。
息子、特攻服で帰省する
ここまで来てつべこべ言うのもあれだが、特に親父はまずいと思うんだ。
なにせ現役時代は警察官、消防士、市役所と、公務員を渡り歩いてきた堅物である。好きな言葉は堅実、嫌いな言葉は派手。僕が学生の頃にやっていたバンドのライブに一度招待したことがあるが、イントロで帰ったような人だ(髪を染めた僕はステージ上で叫びながらそれを見ていた)。
「今回は親に年賀状を出す、という記事を書いていて、それでこういうことになりました。」
正座して素直に主旨を説明する。父とはまだ目を合わせていない。
父「まあ、ようわからんが、お前、あっちで何をやっとるだ」
父は僕の仕事の内容をたぶんよくわかっていない。会社員であることは理解していると思うが、インターネットはおろか携帯電話すら持っていないような人である。僕がこの先新聞の社説でも書かない限り、息子の書いたものを読むことはないだろう。
息子「インターネットで記事を書いたりしているよ」
これまで何度も交わされたやりとり。そしてこれから先も交わされるであろうやりとりである。重くよどんだ空気が、父の次の言葉とともに少しだけ動く。
「おれらにはようわからんでいいだけど、体にだけは気を付けなあかんぞ。」
「体にだけは気を付けなあかんぞ。」
父は結局、特攻服を着た僕の前に座ることはなく、部屋から出て行った。
丸くなったのか、弱くなったのか
怖がりながらも、僕は父に叱られることをどこかで期待していたのかもしれない。もしかしたら叱られるために、こんな企画を立てて特攻服なんか着てやってきたのではないか。
だけど父は叱らなかった。
あるいは僕が高校の頃だったら、彼は激怒して「出て行けばかもの」と叫んでいたかもしれない。きっとそうだろう、経験あるからわかる。しかし今思えばそれも彼なりのアイラブユーの意訳だったのではないか。その意を介さなかったのは他でもない、僕である。
僕も今では人の親である。いくら息子とはいえ頭ごなしに叱ってきくような年ではない。なにより、父にはもう息子を叱りつけるような気力の高ぶりがないのではないか。こんなことならあの頃、もっと素直に叱られておけばよかった。
そう考えるとこれから何回おなじ構図で写真を撮ることがあるだろうか。たまには実家に帰るようにしようと、特攻服を脱ぎながら思ったのでした。
年賀状でいい
そんな人には年賀状を書くといいと思う。僕もここ数年さぼっていたけれど、今年は書いてみようかなと思っています。