そもそもなぜ人間で将棋なのか
時代は400年前、戦国時代。豊臣秀吉が伏見城で小姓や腰元を駒に仕立てて将棋野試合を楽しんだという故事にならったもの、だそうだ。
そのまんまだ。しかし、当時の現場である伏見城があったのは京都の伏見じゃないのか。なんでまた京都から遠く離れた山形の方々が体を張って将棋を?
実は会場の天童市は将棋の駒の生産量全国シェアなんと95%という、まさに将棋の駒の町なのだ。「人間将棋」は、天童に将棋ありをイメージづけるために1956年から「天童桜まつり」の一環として行われているという。そうゆうことでしたか。
天童の駅に着いてみると、なるほどそこらじゅうの物が将棋の駒の形になっていた。
勢いでここまで来てしまったものの大変恐縮だが、あまり将棋には明るくない私だ。怒濤のように目の前にあらわれる将棋の駒たちを前にして、「将棋知らぬ者、この町へ入るべからず」と圧力をうけているかの気持に。
いや、誰もそんなこと言っていないし、駅の職員の方や駅ビルの観光協会の方は親切そのものだったのだが、着くなり完全に将棋の雰囲気に飲まれてしまった。いかんいかん、今日はこれからもっと凄いものを目撃するのだ。これぐらいでひるんでいてはきりがない。
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