プレイステーション2用ソフト「モジブリボン」をリリースしたばかりのコンテンツレーベル七音社。その代表であり、あの「パラパッラッパー」の生みの親であり、打ち込みユニットの先駆けPSY・S(サイズ)のアーティストでもある松浦雅也氏に色々とお話を聞いて来た。
(text by 住正徳)
今や「音ゲー」と呼ばれるゲームは数多いが、その先駆け的な存在として知られるゲームが「パラッパラッパー」だ。ペラペラなキャラクターをボタン操作で操りラップさせるプレイステーション用ゲームソフトで、96年の発売からジワジワとブレイクした。 この人気ソフトのプロデューサーでもあり、'83〜'96年、打ち込みユニットの先駆け、PSY・S(サイズ)で活動していた事でも有名なアーティストでもある、松浦雅也氏。
この夏から秋にかけて、その松浦さんと一緒にお仕事をする機会をいただいた。10/11、12にが開催したミクロ楽団というプロジェクトだ。
せっかく一緒にお仕事をする機会をもらった訳なので、是非一度、松浦さんのお話をゆっくりと伺いたいと思い、松浦さんが代表を勤める七音社さんを訪れた。
パラッパラッパーはどのようにして生まれたのか? 松浦さんの音楽に対する姿勢とは? 最新作品の事……。聞いてみたい事は色々とある。
そして、僕にはそれ以外にも、松浦さんに対して5年越しの思いがあった。 この機会に是非、その思いを伝えなくてはいけない。
それは……
1997年、松浦さんはパラッパラッパーの功績を評価され、通産省(当時)とMMCAが共催するマルチメディアグランプリの中でアーティスト賞を受賞されている。
そして翌年、どういう間違えか分らないのだが、僕の友人の田辺誠一とのユニットで作成したCD-ROMで、同じマルチメディアグランプリのアーティスト賞をいただいた。 事務局からプロフィール写真を用意する様に言われた。受賞作品・受賞者が一同に掲載されるパンフレット用という事で、撮った写真が下。
'97年の受賞者と僕たちのポーズが酷似している。 というか、僕たちが真似をしたのだ。去年と同じポーズで写らないといけない、と信じ込んでいる純朴な青年2人。という設定で撮影したのだが、今、こうして並べて見ると何て失礼な事をしたのだろう、という後悔の念が耐えない。 ましてや5年後、お仕事をご一緒させていただく事になろうとは……。
松浦さんの話を聞いた後、この写真の件についてちゃんと説明しないといけない。 あれは、決して悪意ではないという事を。 ミクロ楽団のプロジェクトが進行している間、ずっと言えずにいたこの思い、必ず伝えなくては。
強い使命感に駆られ、僕は七音社さんのドアを押した。