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A.
人間の考え方はコミュニケーションに規定される。虹の色の数が
国ごとに違うのは有名な話である。色を表現する言葉が言語によっ
てことなるからである。言葉にない色は<見えない>のである。こ
れは端的な例だが、コミュニケーションは自他の関係はもちろん、
自分という内部の基盤になっているものなのである。
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| 深夜の新小岩駅前のパンダ |
活字文化では、情報を伝えるものとその内容は一体であったが、コンピュータによってはじめてそれが区別された。ハードウェアとソフトウェアのメタファーによってである。本では、本そのものと内容を切りはなすことはできないものだった。それが今では別物であるなんて活字文化では想像もし得ないことだろう。いまではメディアとコンテンツという語によってそれらは区別されている。
このように活字文化ではありえない考え方が一般的になっている
。
高度成長期に家電が普及して主婦が自由に使える時間が増えたように技術はライフスタイルを変え、世界と自分の関係を変えてゆく。その環境にあったコミュニケーションの方法を模索すべきである。コミュニケーションの方法が変わった以上、人々の考え方がかわ
るのは当然である。
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| 蒲田東急プラザ屋上のぶた |
B.
コンピュータ技術といっても情報をやりとりのベースになっているのは文字である。コンピュータのスクリーンにうつる文字を読んでいるのだ。文字のほか、音声や映像による表現ももちいられるだろうが、ものを理解するということは文字を読むことである。
分子構造を3次元でモニター上にうつし、閲覧者が自由にうごかすコンピュータがあったが、動かすおもしろさと分子構造を理解することは別である。文字による知識があってこそ、映像による表現が理解できるのだ。
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| 大森のはとたち |
コンピュータによるマルチメディア技術には、見た目の派手さで理解した気にさせる力をもっている。見えないものを見えるようにする。一般性をもたせることで、活版技術がもたらした以上のものを与えるような気にさせる。しかし、まさにそれこそ、コンピュータによる情報のやりとりの得意とする点である。
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これ以降、時間がないので下書きせずに解答用紙にいきなり書きました。
以下が余白に走り書きしてあった。
・文字による説明がないと象をみてもアフリカゾウかインドゾウかわからない。
・文字について考えるとき、活字文化のコミュニケーション方法が有効である。
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| 川崎駅前で飼い主を待つ犬 |
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