シーズン中の海水浴場に行くと、カップルや家族連れが相手の体を砂に埋めて遊んでいるのをよく目にするだろう。
横たわった体に砂をかける。互いにはしゃいで楽しそう。
個人的にそんな経験はない私だが、ほんとはやってもらいたい。でもまねしたとは思われたくない。そういう部分で負けを認めたくはない。
だから縦に埋めてもらいたい。
憧れと屈折と対抗意識がわかりにくく交じり合う気持ちに決着をつけるため、実践してみました。
(text by 小野 法師丸)
砂浜に埋まりたい。どうせなら縦に埋まりたい。砂に埋まると体の毒が抜けていくなどという話も聞いたことがある。
本当だろうか。本当ならば、体からも心からも毒が抜けてほしい。
週末とは言え海水浴シーズンは終わっているので、砂浜に人影はない。秋の陽射しもあたたかく、埋まるにはちょうどいい日だ。
さっきホームセンターで買ってきたスコップで穴を掘る。デイリーポータルZの記事ではこれまでも何度か穴を掘る回があったが(例1/例2)、今回はそこに埋まるというところが新機軸だと思う。
掘り始めて5分も経っていないというのに、かなり息があがってきた。普段あまり体を動かさないということもあるが、穴掘りの作業は思っていた以上に疲れる。それでも今日はおだやかな秋の日、気分はさわやかだ。
穴に埋まる前から、もう体の毒が抜け始めているのかも知れない。
●儀式はおごそかに
しばらく掘り続けて、それなりの穴が掘れた。
掘った穴がそこにある。自分のした仕事の結果がちゃんとそこにあるというのが穴掘りの魅力だ。
1メートルくらいの深さまでは掘れたのだが、そこからはかなり作業が難航。本来ならば直立した状態で埋まりたがったのだが、体を少しかがめるとしっかり肩まで埋まれる深さは確保できた。
よし、じゃあ入ってみよう。
体がすっぽり砂の中におさまる。おお、求めていたのはまさにこの感じだ。同行してもらった知人にしっかりと埋めてもらおう。
…うおお、穴を埋めてもらうと、さっきまでとは全然違った感覚が体を襲う。全身にかかる砂の圧力がかなりすごい。身動きがとれなくなるのはわかっていたが、実感すると身に迫るものがある。
普段は感じない心臓の脈動が体全体にドクンドクンと走る。なんだこの感覚は。そうだ、怖いんだ。かなり怖いんだ。
やっぱり写真からはちっとも伝わっていかない気がするが、今まで体験したことのない恐怖と不安が襲い続ける。
引きでの写真を撮るため、知人がこちらに背を向けて歩いていくときなど、このまま放っていかれたらどうしようかと恐ろしい気持ちになった。あ、あんまり遠くに行かないで、と思わず声をかける。
本気で怖い。大自然をなめていた。それも違うか。とにかく怖い。
●自由のすばらしさ
予想外の感覚に心身ともにおどろきっぱなし。体の中で「まずいよ!まずいって!」という警報が鳴り続けている感じだ。
同行の知人が自分の後ろに回っただけでも怖い。首をまわすこともままならないので、自分がひとりになった気がするのだ。
もう出たい。脈動のリズムも速くなっている気がする。そう思って体をよじってみるのだが、全くどうにもならない。
潮の満ち引きも調べ、しっかり安全を確保できる条件でやっているので大丈夫なのだが、自分の中ではどんどん恐怖心が高まっていく。「やばいって、やばいって!」と知人に呼びかける声も本気になる。
腕の自由が利くところまで知人に掘り出してもらい、そこから先は自ら砂をかき出す。写真の状態までになっても、下半身はまだ動かせないから必死だ。砂の圧力はすごい、もう足もしびれている。
しばらく経って、なんとか穴から脱出。自由ってすばらしい。生きているってこんなに素敵なことだったんだ。
●穴を甘く見るなよ
穴から上がり、さっきまで自分がいた穴を自分で埋める。さらば穴。それは心の中で静かに行う、穴をなめていた自分の反省会でもある。
やっぱり埋まるなら横にしておく方がいい。今回の経験を通してわかったのは、そういうことだ。
それにしても、今までにない経験をしたことで、ちょっと生まれ変わったかもしれない自分がいる気がするのも事実。毒が抜けるというのはこういうことだったのかもしれない。