君はまだ「シンデレラ」だそうです。 かなりステータス低そうですね、シンデレラ。「想い出」しか使えなかったり。
まあ懐かしのヒット・ソングはともかく、わたくし、長いこと「おとなの階段」とは何ぞや?と思っておりました。
「おとなの階段」てどこにあるのだろう。 だいたい「おとな」の基準で何。 青春の1ページで、誰もががふと疑問に感じる「おとなの階段」を探します。
(text by 神田ぱん)
「おとな」とは何なのか
おとなは漢字で「大きい人」と書く。 このデンで行けば「大きい階段」がおとなということになる。段差、幅、段数といった構成要素が「大きい」と「おとな」。 だが、サイズが小さいからといって「こども」とは限らない。 ←の階段をこども呼ばわりしたら、きっと酒焼けしたダミ声で「そりゃーどーも、ありがとねェ」などとすごまれる。怖。
また逆に立派な、長い、大きい階段でも、通学路なんかでこどもがピャイピャイしてて、「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」とかやってる瞬間には、遊び場の風情だ。
てことは、「おとな」かどうかは、その階段の立地条件に大きく左右されるのではないか?「おとなの街」に行けば、「おとなの階段」があるのかも。
おとなの街・新宿へ
それでおとながたくさんいそうな新宿に行ってみた。
新宿は、元禄11年(1698)浅草の名主・高松喜兵衛らによって開宿された「内藤新宿」が始まりだ。それまでは江戸はずれの寒村で、信濃高遠藩主・内藤家の所領だった。
今も「内藤町」という地名は残っているが、内藤家は開宿で土地を返上させられたし、その後も明治政府に新宿御苑など相当な土地を返上した。子孫の内藤さん(もと朝日新聞のえらい人)から、「旧藩主の集まり(そういうのがあるらしい)に行くと『オマエんとこは遊郭のアガリで食ってたんだろ』と言われるがそういうことはなかった」と聞いたことがある。 デベロッパーの高松喜兵衛は、●リ●スホテルみたいな感じでお殿様の名前をくっつけたのだろうか。やるネ、喜兵衛。
新宿は実質岡場所だった江戸四宿の中で、良くも悪くもいちばん遊里らしさを残してる街だと思う。そして私は、そんな新宿が好きだ。
新宿は「おとなの階段」だらけ
まず見つけたのは「韓国スター別コーナーへの階段」だ。ヨン様は、どう考えてもこどもよりおとなに人気がある。 よってこれは「おとなの階段」と認定。
さらに個室ビデオ、ヘルス、案内所など続々と「おとなの階段」を発見する。 つーか「おとなの階段」ありすぎ!
ゴージャス階段にびびる
さて、賢明な読者諸氏はすっかりお気づきかもしれませんが、ここまで私、いっこも階段のぼってません。新宿が好きーとか言いながら腰が退けてて、誠に面目ない。
でもさー、歌舞伎町のさー、こんなビルのさー、階段なんてさー……怖いじゃん!
「おとなの階段をのぼるシンデレラ」にふさわしいのは、本来こんな階段かもしれない。そう思い、意を決してのぼってみた。
どうでしょう。ルイビトンの集金バッグをぶら下げたお兄さんたちに、不審なまなざしで見られながらも撮った一枚。 今回もっとも危険なショットなのだが、危機感も達成感も、何ひとつ伝わらないことに我ながら感心する。
ゴージャスさにはびびっても、こういうほどよく都会的に荒んだ階段には、どうしようもなく心惹かれてしまう。 塗装のはげ具合といい、だらしなくほどけたチェーンといい、完璧な荒みっぷり。 階段は年増ほど味が出るねェ。
撮影しているうちに、歌舞伎町には意外と外階段が少なく、ビルの内階段が道路からもよく見えることを知った。 外階段は敷地に余裕があるところにしか作れないのだろう。そして内階段までチラ見させるのは、「CMのあとヒロシが号泣!」みたいな“ヒキ”のテクニックという気がする。
←ここは私なら“退く”けど。
ヒキわざを駆使する「おとなの階段」は掲示板や看板の役目も果たし、客は階段から店の情報を得る。SM…ショー…喫茶…か。 簡にして意。
久々の新宿散歩、おもしろいけど緊張してクタクタ。もう帰ろう。でも帰りがけ、ちょっと楽しい物件を見つけてしまった。これだから新宿って好きですよ。 また来た時は「シンデレラ」を脱して、もう少し「おとなの階段」のぼりたい。
おとなの階段は異界への入り口
「おとなの街」に「おとなの階段」がしつらえてあるのは、単に店が2階にあるからというだけではないような気がする。
現世と黄泉の国は、黄泉比良坂(よもつひらさか)」という坂で隔てられている。「坂」は「境」だから「坂」というらしい。 実際にのぼるのはつい二の足を踏んでしまう「おとなの階段」も、彼岸と此岸の境なのかもしれない。と思いました。