大阪市のオフィス街に「道修町」(どしょうまち)という地域がある。町といっても、20分も歩けばすっかり周りきってしまえるくらいの小さな区画だ。
この道修町、製薬会社ばっかりある。
(斎藤 充博)
有名製薬会社がズラリ
御堂筋線の淀屋橋駅や本町駅近辺。この辺りは、中規模ぐらいのビルとサラリーマンを相手にした小さな飲み屋がひしめきあっている。ゴミゴミしたオフィス街。
その中の一角に道修町がある。
一見すると、ここもそうしたオフィス街と連続しているように見える。しかし建物やビルの一つ一つをつぶさに見てゆくと、その中の多くが製薬会社になっているのだ。
僕としては「え?!ここも?ここも?」「こんなに製薬会社ばっかり!」「あの有名な大企業もある!すごい!」という気分。しかし表層としては普通のビル。
結果としていろんな会社をやたらとカメラで撮っている怪しい人になってしまった。
とにかく薬漬けの町
有名どころでもこんな感じなのだが、中小の製薬会社や個人経営の漢方薬のお店なども多い。信号機やコンビニよりも多い。適当な建物に向かって石を投げたら、なにかしら薬関係の会社やお店に当たるような気がする。
以下の写真も全部道修町のものです。
薬の神様
道修町にはこんな雑多なオフィスにまぎれるように小さな神社が設置されている。 祭られているのは、日本の神様「少彦名」と中国の神様「神農」。どちらも薬の神様として知られている。
ここの神社の絵馬はちょっと変わっていた。願い事のほどんどが「病気の治癒」なのだ。
それも、漠然した健康祈願よりも「××という病気の◯◯という治療法が成功しますように!」とかなり具体的なものが多い。見るだけでちょっと医療事情に詳しくなれそうなくらいだ。
普通の神社でよくある、恋愛祈願や安産祈願のたぐいは見当たらなかった。
わずかにあった仕事関係の願い事も、薬が絡んだ物だった。
江戸時代から薬の町
なんでこんなに薬ばかりの町なのか。少彦名神社には「くすりの道修町資料館」が併設されて、そのあたりの歴史が展示されている。館長さんに話を聴いてみました。
道修町の歴史は江戸時代までさかのぼる。当時、薬の原料を日本は外国から輸入していた。その原料を集めて検分し、全国に送る中継地点が道修町だったらしい。
こういった薬商人をルーツに持つ製薬大企業が、道修町やその周辺に今でも存在している。たとえば、田邊屋五兵衛→田辺三菱製薬、近江屋長兵衛→武田薬品といった具合だ。
しかし、現代になってもこの道修町には製薬会社は作られている。どうして未だにこうなっているのか。同業他社が集るメリットがあるようには思えないのだが…なんでなんでしょうか。
館長さんがわからないんじゃ、わからないよな、という気持になる。こんなにいろいろ展示してあるのに、核心部分は謎のままだ。
薬の町としての大阪
こんな風に歴史的な背景があって、現代にもそれに続く巨大資本が集っているのに、大阪の中で道修町はちょっとインパクトが薄い。大阪市に住んでいる人でも知らない人は多いようだ。
ステレオタイプな大阪観光に飽きてしまったら、こんな場所を歩いてみるのも楽しい。そして大阪土産としてコブラの姿焼きを買っていったら、わけがわからなくて面白いと思う。