橋脚って、かっこいい。 2010年、当サイトで記事を書かせてもらってからのわずかな期間の中で、私はことあるごとに橋脚、橋脚と言い続けてきた(確認したらだいたい半分くらいの記事で言ってる)。賢明なる読者の皆様におかれましては、「橋脚=鑑賞対象」という認識は、既に刷り込まれ、否、持っていただけていることとおもう。 そこで本日は、新たに「橋脚=情報伝達メディア」としての活用方法についてご提案したい。
(田村 美葉)
高架橋脚の魅力 スタンダード編
東京や大阪など、都市の交通網を文字通り陰ながら支えている高架橋脚たちは、土地が有り余っている田舎の橋脚と比べて、アクロバティックになりがちである。
さすが田舎、いくらでも橋脚たてられるし、いくらでもまっすぐに進める。 これはこれでいいとして(久しぶりに写真をひっぱりだしてみたらまぁまぁ格好よかったし)、対する都市の橋脚っていうのは、少ない土地でありながら上空をゆく縦横無尽の交通網を支えるべく、知恵の輪のごとく計算された末のしっちゃかめっちゃかな形になっていることが多いのだ。
どうです、ひとつひとつ全然違う形にわくわくしませんか。
高架橋脚の魅力 応用編
つい話の導入にキャッチーでわかりやすく格好いい橋脚たちから紹介してしまったが、今日注目したいのは、付随する構造物たちのほうである。
阪神淡路大震災の教訓から、地震の揺れで桁が橋脚からずり落ちることを防ぐためつけられたものだ。字句どおりである。今年はいろんな方といろんな橋脚を観に行って、今まで意識していなかったこれらがすっかり「見える」ようになった。もはや我々にはおなじみのメンツである。
そして、問題のでっぱりとは
こうして橋脚1本1本をつぶさに観察していると、どこにも無駄のないその造形にすっかりウウムとうなってしまうのであるが、ときどき、用途のわからない「謎のでっぱり」に遭遇することがあった。
これ、いったい、なんでしょう? という話を、今日は全4ページに渡って書きたいのである。