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水洗いしてすぐ拭かされてた工藤さんの顔、暗かったもんな |
「洗うまではすごい楽しかった」敗因はふざけすぎ
―ガラクタを再生するのはそんなにイヤなことではなかった。やるせなさみたいなのがもっとあるかと思ったけど、わりと楽しい。
あのガラクタっぷりでこの言葉を言わせたというのは、なかなか良い結果だ。模型はけっこうなんでも楽しい。
―何ができるんだろう?というワクワク感はよかった。何かができていく、何か作ってるって感じは楽しめた。
これから何ができるんだろう?そんなプラモ製作なんてなかなかできる体験ではない。模型化の試みはそんな副産物も与えてくれる。
また、もう一つの評価として、作業自体が楽しいかどうかもあるという。
―竹ひごやグリス塗るのも楽しかったんだけど、ニベアと水洗いするのは作業としても楽しめなかった。
なるほど、ニベアがプラモに入ってないわけである。
―そう、洗うまではすごい楽しかった。
工藤さんは洗ったことで「この作業は本当に意味がない」と実感したのだという。意味のない作業の指示。それは組み立て説明書というより、ただの嫌がらせ集だ。
―洗うだけならもしかしたら何かあるのかと思ったけど、すぐ拭いてるよなあって。
お、だんだん出来上がってきたな〜って蓄積されてた思いが、裏切られて一気になくなった。非常にくやしい。
たしかに楽しませてくれるはずの説明書が、いやがらせしてくる裏切りといったらないだろう。悪夢だ。
とりあえず思ったのは、やはり模型は説明書が大事。安心や信用が組み立てにおいて大切なのだととりあえずは実感した。あとニベアはピンポン球くらい使わなくていいということも。
それとオリジナル模型を作るのはなかなか大変だったが、有意義だった。他人にお弁当を作ってあげるような感覚だろうか。
初めてデートする彼女が目を真っ赤にはらして「徹夜して作った」とオリジナル模型を持ってくる。そんなこともそのうちあるだろう。
いや、ないだろう。
いいかげんなことを言ってすいませんでした。 |