たしかにあった。浮かれていた。
しかし、物足りない。いや、浮かれ電飾相手に物足りないも何もありゃしないと思うのだが、この期待を裏切るこぢんまりさはどうだ。こんなものか、名古屋。
なんの情報もなくふらりと訪れたわりにはちゃんとあった点はぼくのカンを評価していただきたいところだ(誰に?)。しかし例年訪れていた場所に比べると、その浮かれっぷりはごく常識的だ。自制心が感じられる、というか。ぼくが勝手に描いていた名古屋像とは異なる。
そして、もうひとつ重要なのは、「浮かれ電飾地帯」がない、ということだ。たいていの場合一軒がはじめると隣近所がこぞって競い合い、結果的に、一体が地域ぐるみで浮かれるといった事態が生まれるのだが、ここではそういったご近所づきあいが見られない。これはどういうことか。
■浮かれ名古屋スタイル仮説 |