ぐんぐんと空高く成長して明るく咲き誇るひまわり。
それらが一面に広がるひまわり畑の姿は実に爽快だが、同時に気分も暗くなる。 なぜなら元気に咲くひまわり達と貧弱な自分を比べてしまうからだ。
元気に咲けば咲くほど自分はぜったいそちら側に近づけない悲しみを感じて切なくさせるひまわり畑。 一度でいいからひまわりの中にとけ込んでみたい。明るい花園の一員になりたい。
なんとかしてひまわりたちととけ込めないものだろうか。
(小柳 健次郎)
そのままではまるで水と油
ひまわりにとけ込む方法を探るためひまわり畑に来た。当たり前だがどこまでも元気に咲くひまわりが見える。いきなり胸が痛い。
当然ながらそのまま近づいて撮影してもまったくの仲間はずれだ。それどころかひまわりが遠ざかっていってるように見えなくもない。
「なにこの暗い人」とひまわりの陰口が聞こえる。
色で攻める
そんな明るくも冷たいひまわりにとけ込むための手段として、今回は色で攻めてみることにした。
ひまわりという一つの植物として見ると人間の僕がとけ込むことは難しいが、色で考えるとひまわりは黄色と緑の単純な物体である。それなら真似できる。
なぜシャツだけでズボンは緑じゃないかというと、そんな色のズボンはどこ探してもなかったから。確かにそんなの履かない。全身緑タイツの自分内案も却下した。あくまでも自然体でとけ込むことが目的だからだ。
さてこれでどれだけとけ込めるだろうか。
とけ込めなかった。緑のシャツを着た人が茂みの奥からこちらをうかがってるようにしか見えない。
やはり緑のシャツを着ただけでは厳しいようだ。
やはりひまわりの最大の特徴は黄色く大きな花の部分である。だからそこの色も真似たら劇的にとけ込めるに違いない。
黄色いバンダナを巻いた。
先ほどのに比べたら少しはとけ込めた方だろうか。しかしまだ目指すところにはほど遠い。これは茂みの奥から突然出てきてカレーをよそってくれる人である。
これは顔の黄色さが足りないのかもしれない。もっとひまわりの様に黄色くならねば。
この撮影は俗にいうひまわり迷路の空きスペースでやってるのだが、迷路に迷って出られなくなったところでこいつに出会ったらさぞ嫌だろう。
実際、黄色く塗ってるときに親子連れが通りかかったので無理に明るく挨拶したら、「ヘハィ」という謎のつぶやきを返しただけだった。子供も無言。
なにもないところで写真を撮ると、ひまわりというより原住民っぽい。顔に色を塗る習慣があって、色の面積が大きいほど強い。そんな原住民。
今度こそひまわりにとけ込めるだろうか。
どうだろうか。これは結構とけ込んでるんじゃないか。
そう自分で言ってるだけだといまいち自信も持てないが、この写真をひまわり迷路で受付をしてるおばさんに見せたところしばらく見つけられなかったのだから自信を持ってとけ込んでると言わせてもらいます。
見事とけ込めたので、とけ込んだ写真をいくつか撮ってみました。どこにいるか探してみてください。写真をクリックすると正解が表示されます。
なお特別ルールにより2秒以内に見つけられないと失格です。そうじゃないと簡単すぎるから。
なんとかひまわりにとけ込むことに成功した。それはうれしいがまたとけ込みたいかと聞かれたらもうイヤだと答える。なぜなら虫がすごいからだ。
ひまわりに近づいてはハチに追われ、クモの巣にひっかかり、アリにたかられた。ひまわりにとけ込むということは自然にとけ込むことであり、それは虫にとけ込むことであることを知った。
帰りのバスの中にアブが2匹いたのも、たぶんひまわりにとけ込んだ僕に付着してきたやつだろう。この場を借りて車内にいた人に謝っておきます。すみません。