先日会った知人が、イチゴの乗ったショートケーキを食べながら、「そういえば子供の頃、イチゴの種ってゴマがついてるんだと思ってた」と言い出した。
そんなバカなと思いつつ、この勘違いを聞くのは初めてではない気もした。幼い頃にそんな思い違いをしていた人は、少数派ながらいるのではないかと思う。
勝手に結びつくイチゴとゴマ。ではそんな間違いを、現実のものにしてみたらどうだろうか。そういうわけで、実際にやってみました。
(小野法師丸)
●イチゴとゴマが奏でる未知のハーモニー
言われてみれば似ているような気もする、イチゴの種とゴマ。プチプチとした食感は確かに共通している部分はあると思う。ただ、味の面ではかなりかけ離れているだろう。
微妙な距離感を保つイチゴの種とゴマだが、改めてよく見てその類似性を確かめてみよう。
こんな季節でもスーパーにイチゴは売っていた。購入して、じっと見つめてみる。
うーん…。写真でもおわかりいただけるだろうか、確かにイチゴの種はゴマのような形をしている。そういう意味で似ているのはわかるのだが、大きさとしてはゴマよりもかなり小さめ。
思い違いをしていた時は、ちゃんと成長したゴマになる前の状態と解釈していたのかもしれない。そういう考え方はなくはないかもしれない。
さあ、ではこのイチゴの種を、ゴマ化してみよう。
そのためにはまず、イチゴの種を取り除かなくてはならない。ピンセットでつまんで引っ張ってみると、ちょっとした抵抗感を感じつつも、ある一定の力を加えたところで、ピンという感じで取れる。
かなりちまちました作業。やろうとしていることはくだらないのに、結構な集中力が必要とされる。
…どれくらいかかっただろうか、よし、全部取れたぞ。
まずは種なしイチゴ化が完了。スイカやブドウなど、種なし化された果物はいろいろあるが、イチゴは初めて目にする。
それはきっと、別に種なし化する必要がないからだろう。種のプチプチした食感も含めてイチゴのおいしさなのだと思う。そういう意味で、需要のないイチゴと言えるだろう。
普通イチゴと並べると、確かにあるべきものが欠けている感じがする。やっぱりプチプチ感がイチゴには欠かせない。というところで、今回登場するのがゴマになるわけだ。
今度は種の跡にひとつひとつゴマを埋め込んでいく。種とゴマではサイズが違うが、穴にはあまり違和感なくゴマは収まっていく。ちまちまとした時間に耐える。
……ああ、ほんとはどうでもいい。始めのうちは投げやりな気持ちにもなってしまったのだが、イチゴがだんだんゴマ化していく中で、精神も集中していった。
よし、結構時間がかかったが、できたぞ。
そこにあったのは、妙な違和感のあるイチゴだった。
決定的に違うというわけではないが、なんかおかしい。やっぱり普通ではない。これは、種よりもゴマの方が大きいことが強く影響しているのだろう。
普通イチゴと並べると、不自然さが際立つ。かなり不審なイチゴだ。
思い違いを現実化したイチゴ。この様子を見れば、やっぱりあれは間違いだったと思い新たにすることだろう。イチゴの種はゴマではない。
ビジュアル面では納得した。ただ、味の方はどうだろう。やはりここは食べてみるべきだ。
イチゴの甘酸っぱさと、ゴマの香ばしさのハーモニー。そんなものがあり得るもんかと思って食べたのだが……うーん、思っていたほど変ではない。
予想していた甘酸っぱさと香ばしさの組み合わせが、意外と悪くないのだ。
まあ、あくまで「悪くない」というレベルであって、おいしいというわけではない。とにかく、予想できない新鮮な味わいではあったとは言えるだろう。
●勘違いの現実化を通して見えたもの
勘違いから生まれたゴマ化イチゴ。実際に作ってみると、見た目でも味わいでも新鮮だった。もしもいまだにイチゴの種がゴマだと信じている人がいたら、この記事を読んで真実に目覚めていただければと思う。