精神を研ぎ澄ました状態で自分自身と対話してみたい。唐突にそんな欲求がわいた。
大仰だが、自分はどこから来て、どこに去るのか。誰もが一度は考えるテーマである。
座禅、瞑想、岩盤浴やヨガなどでも・・自分と向き合い精神統一できる方法は色々ある。
ここはあえて、お寺という荘厳なロケーションのもとでかるたをするというアプローチで、自己との対話に挑戦してみた。
(text by ほそいあや)
たのもー
ある晴れた日、鞄にかるたを詰め込んでお寺を訪れた。
精神集中の相棒
お寺で百人一首というのはよくあるが、あえてこのかるたを選んだ。幼少の頃から自宅にあるのは知っていたが、それこそ百人一首が我が家の定番カードゲームであり、一度もこのかるたで遊んだ記憶がない。 しかし先日、片づけをしていたらふと出てきたのだ。大人になった今、なんとなく自分探しのツールになってくれそうな予感がし、これを使うことにした。
この小公女かるた、ちょっと心配になるほど残酷な作りになっている。原作がそうだと言われればその通りなのだが…。 日本でも昔から「おしん」スピリッツが美徳とされるのもわかる。しかし、子供がかるた遊びをするほのぼのとしているであろうひとときにこの文章が飛び交うのかと思うと、与えるのを躊躇してしまうような凄惨な言葉がちりばめられた札の数々。 当時母がこのかるたの存在をあまりアピールしなかったのも少し分かるような気がした。
悲劇のはじまり
華やかな生活も一転、セーラーを待ち受けていたのはつらすぎる運命だった。